サラーム・レイコム(アラビア語でこんにちわ)
またびのまさるです。
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パレスチナ第2弾をすぐに書こうと思ったのですが
志半ば
今、エジプトのダハブでダイビングの資格をとっています。
意外と時間がないものですね。
あと宿のwi-fiが死んでいる。
早朝だけwi-fiが生きているので、頑張ります。
ヘブロンってどんな街?何があるの?
僕もベツレヘムに来るまでは、ヘブロンっていう街の存在を知りませんでした。
ベツレヘムのバンクシーホテルの展示やタクシー運ちゃんのガイドの話の中でよく出てきたワードは
「ヘブロンはもっと酷い」
という話。
それは治安が悪いという意味ではありません。
ベツレヘムの分離壁の状況よりももっと酷い制限を受けている
という意味です。
簡単に言うと、ヘブロンの街中に強引にユダヤ人居留地が建てられて、街中の交通の自由を阻害されているということです。
すみません。大分わかりづらいのですが、
この壁の向こう側はイスラエルが管理するエリアです。(でもパレスチナ人が暮らしていた場所)
写真を撮っている場所は、ヘブロンのマーケットがある場所です。
とても賑わっています。
この壁の反対側から撮った写真はこちら
イスラエルの旗がたくさん並んでいる割には人が圧倒的に少ない。
ヘブロンのマーケットと壁をはさんで並行して走る通りは
こうなります。
ゴーストタウンです。
兵隊だけが通ります。
入り口にひさしが付いていることからここも賑やかな商店街だったことがよくわかります。
それもそのはず
約500人のユダヤ人入植者と210000人のパレスチナ人が暮らしています。そしてユダヤ人を守るイスラエル兵士は3000人。
イスラエルの管理するエリアがゴースト化するのは明らかです。
このヘブロンの旧市街はユネスコで世界危機遺産に登録されました。
ヘブロンの街は下の図のように二つの地区に分けられています。
H1はパレスチナが管理するエリア
H2はイスラエルが実効管理するパレスチナ人が住むエリア
でこのH2の中にユダヤ人が住むユダヤ人入植地がある。
だからややこしい。
写真の商店街はちょうどH2のところにあります。
商店街はパレスチナ人が住み、2階をユダヤ人が住む。
2階のユダヤ人がゴミを上から投げるからネットを張っている。
子供の靴が捨てられていました。
どうしてイスラエルはこんな酷いことをするのか?
それはこの街ヘブロンの歴史に関係します。
この街の観光地は、「アブラハムモスク」です。
このアブラハムというのが、
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の始祖であり、その人とその家族のお墓がここヘブロンにあるのです。
それがアブラハムモスク。
日本では童謡で「アブラハムは7人の子♩」という歌を知っている人も多いかと思います。
この聖地をイスラム教とユダヤ教で分割管理しているのが現状です。
イスラム教側をムスリムパートと言いますが、検問があります。
ゲートを抜けるとモスクに入ります。
小さな家のようなものがお墓ですね。
そしてイスラエルパート側は
広々としています。
椰子の木に見える人口の電波塔があります。
聖地でも国旗を飾るというセンスは僕は嫌です。
左に見える塔がムスリムパートの入り口です。
中では子供たちが勉強をしていました。
祈りを捧げているユダヤ人は頭に山伏みたいなものをつけています。
それがこれです。
モスク自体の規模や建物、装飾はそう特筆すべきものはないと思います。
ただこのモスクが持つ歴史と悲劇がこのモスクの特徴です。
マクペラの洞窟の悲劇 1994年2月25日
ヘブロン虐殺事件。
ここアブラハムモスクの中で礼拝中の800人のイスラム教徒向かって、一人のユダヤ人医師がマシンガンを発射します。
60人以上が亡くなり200人以上の負傷者を出した事件です。
このユダヤ人医師は、極右シオニスト・ユダヤ教過激派の幹部であり、日頃からモスクの絨毯を燃やしたり、商店を襲ったり無法の限りを尽くしていたという。
さらにショックなことが、このテロがイスラエルに住むユダヤ人にある程度支持されたということです。
詳しくはこのサイトが
そして今現在も、極右シオニストの嫌がらせは続いています。
もう一つの観光地 アブラハムが使ったとされる井戸と昔のヘブロンの城壁跡
ちょっとわかりづらいのですが、ゴスートタウンを抜けると丘の上に割と人の出入りを感じます。
ここのAbraham wellと描かれている部分に泉があり、近くに城壁があります。
これはヘブロンの中心地である城がかつてこの場所に存在していたという証です。
ここに立った時に
ああ、イスラエル政府はここを制することでユダヤ人のパレスチナに居住する正当性を獲得したいのだと感じました。
紀元前10世紀にダビデ王がエルサレムに遷都するまでは
ここヘブロンが都であったのです。
それを根拠に、3000年経った現在、パレスチナ人を追い出し、ここにユダヤ人の土地にしようとしているのです。
日本で考えると、東京はもともと蝦夷の土地であるからアイヌに返還しなくちゃいけないと言っているようなものです。
無理があるんだよな。
確かにそうだったかもしれないけれど
土地を長く使い、暮らしてきた時間をそっくり奪うことは暴力に他ならない。
百歩譲って、ユダヤ人に正当性があったとしても、現在その場所をどう扱っているのか?
それがこの写真。
ゴミだらけ。
アブラハムが使ったとされる井戸の横にはゴミ箱と、ダサい扉。
この景色を見て、僕はイスラエル政府がとても歴史を大切にしているようには全く思えない。
歴史、宗教の政治的利用
異論もあるでしょう。
でも僕がエルサレム、ベツレヘム、そしてヘブロンを見て感じたのは
これは
聖地を巡る争いなんかじゃないってこと
宗教では共存ができているし、できてきたんじゃないかと思います。
エルサレムがそうであり、ベツレヘムのクリスマスはずっと続いていたし、そして事件が起こるまではアブラハムモスクもうまく共存していました。
分離壁を建てたのは、ユダヤ教の教え?イスラム教の教え?
兵隊に銃を持たせ、勤務させ、給料を払っているのは宗教団体?
水源をパレスチナ人から奪い取り、管理しているのは宗教団体?
ユダヤ人国家を建設の同意をしたのは宗教指導者?
違いますね。
アーサー・バルフォアです。
こうやって彼がロスチャイルドに書類を送ったのです。
そうすべての発端は
政治家による政治的な思惑
から起きています。
壁の建設をし、
兵隊に給料を払い
水源を管理しているのも
政府(イスラエル)なんだよ
村上春樹さんはそれを
「システム」
と呼んでいます。
システムは人間が生み出し、誰から支持することで出来上がっているが、そのシステムに人間は殺され、土地を奪われ、家を壊され、壁を建てられ、水源を奪われるのです。
そのシステムを作る法律を作るのが政治家の仕事。
しかしその政治家を選ぶのが我々の仕事。
ただこのシステムが暴走し、害を持った時に、私たちは有効な修正手段を持っていません。
いつだって銃や武器、そして予算、警察を持っているのは私たちではなく、政府。
だからデモや暴動を起こして異を唱えるしかありません。
それが問題なんです。
これから世界で、こうしたシステムに対する修正の手段についての発明や発見が必要だと強く思いました。
なんかうまく説明できませんが、今旅行しての感想です。
樹齢1000年を超えるオリーブの樹がヘブロンにはあります。
もしからしたら、オリーブの樹が一番賢明なのかもしれません。
ヘブロンへの行き方 ベツレヘムから乗り合いバンで多分10シェキルだったと思います
ベツレヘムのセントラルバスステーションの地下4階が乗り場と言うのを忘れないでください。
一階だとぼったくりタクシーです。
パレスチナの移動は断然、VISIT PALESTINEのサイトが便利です。
ヘブロンの魅力は人
ヘブロンはパレスチナ人で賑わっています。
彼らはみんな
「Welcome to my country」
と言ってくれます。
イランに次いで、ホスピタリティのある場所です。
旅人が一人でも多く来て、自分たちの国を知ってほしいと強く願っています。
だからまたびからお願いです。
エルサレムに行くのもいいですが
その一日を是非パレスチナ行って、自分の目で見てください。
ここで起きている問題は、人権の侵害、自由の剥奪です。
宗教の違いの問題じゃありません。
それは僕たち人類が、おかしいと声をあげ、変えさせることのできる、変えないといけない悲劇です。
そして何よりパレスチナは賑やかで物価もエルサレムの三分の1です。
是非是非訪れてください
またび
パレスチナ問題の映画や写真を撮っているすごい日本人 広河隆一さん
写真を引用します
すごいですね。本物です。
パレスチナの映画も撮っています。
ホステルはH2 ホステル ヘブロンで
ドミトリーもあります。14ドルくらいで、イスラエルにしては安いです。
H2 ホステルヘブロン
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