【女人禁制の島】異教徒男子1日10名限定 1000年の祈りが今も息づく聖なる島アトス山巡礼

ヨーロッパ

ヘレーター(ギリシャの言葉でこんにちわ)

またびのまさるです。

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不思議な体験をしました。

アトス山で最古の寺院・メギスディ・ラブラ( Megísti Lávra)での夕方の祈りのとき。

魂が震えて、汗が止まりませんでした。

女人禁制で、男子のみで申し訳ないけれど

絶対に、体験した方がいい。

強く強くすすめます。

1000年も続けられた祈りがここにはあります。

永平寺、ルンビニーの寺、チベットのジョカン寺、アチェンガルゴンパ、アンコールワット、ブッダガヤ、マシュハドのReza廟

そのどこよりも僕は心揺さぶられました。

後から知ったのですが、村上春樹さんもアトス山を訪れていて、「雨天炎天」という旅行記を書いたそうです。読んどけば良かった。

アトス山って?ギリシャにあって、ギリシャではない

その名も

「アトス自治修道士共和国」

ギリシャ国内にありながら同国より治外法権が認められ、20の修道院・修道小屋によって自治がおこなわれる共和国。現在も中世より受け継がれた厳しい修行生活を送る修道士が暮らす。約2,000人の修行僧が祈りと労働の生活を送っている。
女性はもちろんません。
家畜もメスは厳禁。
唯一猫のメスだけが許されています。
観光客も巡礼者も男性のみ。
女性は船で500メートルまでしか近づけません。
僕がアトス山に行こうと思った理由は、そこではありません。
写真を見て欲しい。
シモノス・ペトラという寺院。
この写真を見たときに僕は
「ポタラ宮だ!」
と直感で思った。
これがポタラ宮の写真。
そしてそこにチベットとギリシャ、キリスト教と仏教とのつながりがあるように感じ
それを見たい、確かめたいと思ったのです。
アトス山はパーミット(許可証)がいる 可能性があったら試したくなるのは旅人の性
アトス山はパーミットが必要です。
アトス山巡礼について日本語のサイトがあるので紹介しておきます。
日本の正教会の方向けのサイトです。
とても参考になりました。
予約は6か月前から取れる。
しかし僕がアトス山を知ったのは3日前
テッサロニキにある事務所に連絡に予約を入れるべしと書いてあるがメールを送っても返事がない。
電話は持っていないからできない。
そんな時は
とにかく出向く
テッサロニキにある「アトス山巡礼者事務所(Holy Mount Athos Pilgrims Bureau)」
に行きました。Maps.meで「Holy mount house」で検索すると出てきます。
受付時間は10時からでした。
アトス山の巡礼では、正教徒ではないNon-Orthodoxの入山は1日10名まで
当日行って、3日後の火曜日に行きたいというと、
パソコンに名前とパスポート番号を入力し、それで完了
あっという間でした。
パーミットは?
と聞くと
別の街、ウラノポリの事務所で当日の朝に発行する
との事。
えらいざっくりしています。
この後、個人で泊まりたい修道院に予約を入れます。
修道院に電話orメールをして予約をする。でもどこに行けばいいかわからない。

僕は、一番古いというラブラと、次にパブロフ修道院という所が、メールで対応できたのでそこを予約しました。三日目はOsiou Grigoriouという所に電話をしたのですが、「Greek?」と聞かれ「No」というと電話が切れ、それから電話はつながりませんでした。

ただ巡礼を終えて、大体のメジャーなルートは
ラブラ→Aghias Annis(Agios Anna)→シモノス・ペトラ
ラブラ 1000年の祈りを宿しているのは間違いなくここだと思います。建物というよりも中で行なわれているものにとても見ごたえがあります。
Aghias Annis(Agios Anna) ここは修道院ではなくSketiというもう一つ規模の小さいものですが、半島のちょうど南に位置していて、多分夕日がきれいなのだと思います。アトス山に登山する人もここを拠点にします。
シモノス・ペトラ 直感でいきたいと思った場所。立地と建物が豪華。でも何回か焼失して、立て替えているようだ。
これを徒歩で巡礼するのがいいと思います。
この3箇所を宿泊予約できたら羨ましいですね。
英語ですがこのサイトに修道院の電話番号とメールアドレスが載っています。
ラブラ修道院とシモノス・ペトラ修道院はメールで返事がきます。
僕はラブラには電話をしたのですが、英語で日にちと、正教徒ではないけど大丈夫かと伝えると
「OK、ウェルカム」でした。
僕が一方的にポタラに似ていると言ったシモノス・ペトラは満員で断られました。
11月はオフシーズンでしたが、それでも早めの予約が必要なのだと思います。
修道院への宿泊は基本は予約をしておかないとダメというか修道院の人が困ると思うのでしましょう。
三日目はOsiou Grigoriouという所に電話をしたのですが、「Greek?」と聞かれ「No」というと電話が切れ、それから電話はつながりませんでした。なので3日目は泊まらずに港に戻り、アトス山を出る計画を立てました。
行き方 テッサロニキ→ウラノポリ(泊)→ダフニ
まずはテッサロニキからウラノポリへ
テッサロニキのKTEL Chaikidikisというバスターミナルから出ています。市内から離れていて40分近くは見ておいた方がいいです。
僕はテッサロニキのバスターミナルKTEL Macedoniaから45番バスで行ったのですが1時間かかりました。
・テッサロニキ→KTEL Chaikidikisバスターミナル 45番バス 1ユーロ
そこでバスチケットを購入します。
・テサロニキ→ウラノポリOuranoupoli  (3時間 往路17.5ユーロ 復路13.7ユーロ)
このバスターミナルでwi-fiはないのですが、カフェのwi-fiのパスワードが店名そのまま(ギリシャではよくある)ので暇つぶしに使えます。
・ウラノポリ→ダフニDafni フェリー高速船10ユーロ 
基本はウラノポリ発の9:40分の定期便に乗るのが一般的なようです。僕は満員で買えず、10:40分発の高速船で行きました。それでも着くのは定期便よりも速いです。8時45分の高速船も満員でした。なので、ウラノポリで必然的に泊まることになります。
僕はbooking.comで一番安かったFaniに泊まりました。32ユーロでしたが、部屋にキッチンがあり、バルコニー付き、wifiはもちろん、夕日が綺麗で文句なしでした。荷物も港近くの宿主の経営するマガジーナで預かってくれるので助かります。
注;船に乗る前に、パーミットをもらうことを忘れずに。オウラノポリにある事務所は朝5:30から13:00まで。そこでパスポートを見せ、パーミットをプリントアウトしてもらいましょう。すぐ出来ます。入山者は結構多かったです。
・ダフニ→カリエス(Karyes) 40分 バス 3.5ユーロ
港からは各修道院に船が出ています。でもラブラ行きはないので、ますはカリエスに移動します。このカリエスという所が、アトス山の拠点です。ここから全ての場所にミニバスが出ます。大概みんなカリエスに移動するので付いていけば大丈夫です。カリエスにも教会があるので、見ておくといいと思います。あとなぜか缶詰が安かった。ここでタコと貝の缶詰を買いましたが、ギリシャで一番安かったです。缶詰めちゃくちゃ美味しいです。そのままパスタに和えて食べたいくらい。夕食と朝食は寺院で出ますが、昼食や間食用に食料は確保しておきましょう。オウラノポリよりカリエスで仕入れた方が安かった。
・カリエス→ラブラ修道院 13:30 1時間弱ミニバス 7ユーロ
この10と書かれたバンで移動します。途中なんか泉の観光スポットに寄ってくれます。人数に寄っては値段が変わるようです。7ユーロ以下はありません。
入山に当たっての注意事項 特に説明は受けなかった
大切なので、特に異教徒である旅人はそういうマナーに対して注意を払っておくことは必要。
服装;短パン、サンダル、ピアス、タンクトップはNG。地味目(黒が良い)の服が良い。
写真;ビデオカメラの持ち込みは禁止。カメラは外観はOK。修道院内部や修道士を撮影するのはNG
宿;宿泊の際は事前に予約をしましょう。島の寺院には公衆電話があるので、テレホンカードを買っておくといいと思います。
作法;修道院の時間割に沿って行動します。受付で大雑把な説明を受けると思います。
腕を後ろに組むのはよくないようです。手を前に組みましょう。
海;アトス山一帯の砂浜では遊泳禁止です!綺麗だから泳ぎたくなるが絶対にダメ。
これは「巡礼」です。
観光と言うよりも、巡礼や修道士の生活を経験させてもらえるという立場を理解しておく必要があります。
いよいよ巡礼ラブラ修道院に入る。なんかすごいもてなし。コーヒー、お酒、お菓子が出る
ミニバスを降りて、みんなについていくと、受付(アルホンダリキ)に着く。(このアルホンダリキという言葉は覚えていた方が便利です。バスで到着する場合はみんなに着いていけばいいですが、徒歩で到着すると自分一人なので、まずどこが受付だかわからないし、英語のレセプッションもあまり通じない。)
着くとみんな記帳する。名前とパスポート番号とパーミットの番号。そして次の日バスでカリエスに帰る人は6:45分のバスがあるから希望リストに書く。(多分、このバスでカリエスに戻って、また違う寺院にバスで行く人が多い)
その間、ギリシャコーヒーとお菓子とツィプロ(お酒)が振舞われる。正教徒やギリシャ人の団体は先に部屋に案内される。僕ら旅行者はしばし待機し、また違う部屋に案内される。6人部屋。そして予定を伝えられる。30分程したら教会で祈り。そのあとご飯を食べ、門は18:30に閉まる。朝は2時に起床。そのあと教会で祈り。とざっくり説明を受ける。
祈り なぜだか汗が止まらない 
※写真引用 聖山アトス巡礼紀行(13)メギスティス・ラヴラ修道院・その2~M司祭とパウェル司祭 中西裕人
教会に入ると、中はブルガリアのリラの修道院に似ている。天井から蝋燭を置く円形の金属が吊るされていて、正面にはイコノスタシスがある。内部全体が暗い、蝋燭の光のみである。そしてその蝋燭の煤で教会全体が黒ずんでいるように見える。
暗い中での祈り、イコノスタシスの中から、正装した司祭が乳香の入った香炉を振りながら、教会内部を隈なく、清めていく。
鈴の音のような金属音、そして甘い丸い乳香の香り、そして暗いところだと香炉が振られる度に、小さな火花が飛び散るのか見える。
祈りの間、ずっと汗が止まらない。
ただただ立っているだけなのに、汗が止まらない。
魂も動くと汗をかくというのか?
今はうまく説明できないけれど
本物を見たな
そういう気がする。
ちょっと雰囲気のわかるものがyoutubeにあるので見て欲しい。
Monastery of Great Lavra – Μονή Μεγίστης Λαύρας
祈りは3時間くらい続く。
教会には壁面に沿って椅子があって、座っていい時は座り、立つべき時は立つ。
司祭が出てくると大概立つ。そして繰り返しの祈りの文句が出ると立つ。
書物を修道士が読んでいる時は以外と座っていい。
古い大きな書物を蝋燭の灯りの元で修道士が読む。
その灯りは、天井から吊るされたフードのかかった燭台で、映画「トゥルー・ロマンス」でゲーリーオールドマンがクリスチャンス・レーターに向かってブンブン振り回していた照明を思い出した。
書物に書かれた言葉を読み上げ、祈り、そして乳香を振りまき、教会にある聖なる宝物というか秘宝を並べ、皆がそれに触れ、キスをし祈る。
正教徒ではない僕はそこには参加しなかった。
でも司祭のような雰囲気の方と最後握手をし、祈る場面で、並ぶように言われて並んだが、作法がうまくいっていないのがビシビシ伝わって、握手した時に、申し訳ない気持ちになった。
遠目から見ているだけも良かったなと。
そしてその秘宝をイコノスタシスの中に安置し、祈りは終わる。
祈りの間、ずっと考えていたことがある。
誰かのブログで食事の後、懇親会みたいなものがあって、そこで質問をされる。
「なぜ正教徒ではないのか?」
「何のために巡礼に来たのか?」
質問の答えをずっと考えていた。
僕は仏教徒であり、改宗するつもりはない。
それは家族がそうであったし、大人になって禅宗・曹洞宗を映画「ZEN」で学んだことでより想いを強くした。
一人一人の心の中に、仏がいて、その仏を生きて行く中でそれぞれが育むというか磨きあげていく。
その考え方がすごく腑に落ちる。
功徳を積むということがそういうことなんだと思う。
でもこの仏が自分の体の中にいるというのは説明がすごく難しいなと感じた。
キリスト教ではキリストは唯一であり、自分ではないものとして存在している。
だから懺悔など打ち明ける、告白するということが成立する。
でも仏は心の中にいるから懺悔しようが自分に対して向き合うしかないのだ。
イスラム教のことも考える。
彼らは偶像化を禁止し、外部に人の形としては存在しない。
それはコーランという経典
ことばの中に存在する。
それは無形であるが、詩やことばとして自分ではない、外部に存在している。
こう考えると面白いなと思った。
各宗教が、神の位置付けによって異なるということがよく分かる。
これを説明できるかな。
そしてもう一つ。
ここに来た目的について、何て答えればいいのだろうか?
今目の前で見ている光景は
「祈り」
そのことを考えていた。
チベットで見た五体投地
これも「祈り」
イランのイマーム・レザーで見たものも
「祈り」
僕は「祈り」について興味があるのではないかと思う。
「祈り」
決して物理的、有機的な回答を示さないもの(これには異論があるだろうが)
でもどうして人は、この即物的な世の中においても「祈る」のか?
震災のことを思い出した。
あの時、東京にいた自分は何かできることはないかと考えた。
その中で義援金を送ったり、短い期間だがボランティアに参加し、そして2年後自分の足で福島を見に行った。
できることをしようと思った。
でもそのできることをした上でも、何かが物足りないような気がした。
多分、この
「祈り」
が足りないんじゃないかと今は思う。
祈りは物資もお金も運ばないし、瓦礫も移動しない。
何も物事を解決していないように見える。
でもこうして毎日、幸せを願い、神に感謝し、1日を終えるというこの1000年続く祈りを絶やさないこと、これも人間が生をつないでいくためには必要なんじゃないかと思う。
僕の魂が震えたのも、まさにこの1000年続く祈りを前にして、前世、前前世、前前前世、前前前前世の中のどこかの魂が郷愁に駆られ、泣いているのかもしれない。
つまりこの命、僕の生が、僕だけのものではないという感覚を覚える。
この自意識を超えた、共感覚の中に自分を見出すことが、人生の幸せというかより良い生を生きることになるのかもしれない。
そんなことを考えていた。
夕食 食堂の壁面にはフレスコ画が描かれ、何てこった時空を超えた
祈りを終え、食堂(トラベサ)に移動する。
食堂の壁面にはフレスコ画が描かれ、馬蹄形のテーブルが中央の通路に沿って並んでいる。
メニューはトマトパスタとレタスのサラダとパン。ワインもついている。デザートの甘いお菓子もある。
写真があれば一発で伝わるのだろうけれど、写真はNG。
書いても書いても現実に追いつかないのだと思う。
晩餐っていうのはこういうものだと教えられたように思う。
中西裕人さんのブログに許可を得て撮った写真がある。
違う修道院であるが、雰囲気がわかってもらえればと思う。
ラブラのトラべサは青が基調で、テーブルは白。椅子とテーブルは壁と一体になっている。
このブロクは今見つけたのだが、写真もよく、よくまとまっていていい。行く前に出会いたかった。
中西さんの写真集はこちら
フレスコ画に囲まれて、そして修道士たちと一緒に同じご飯を食べる。
ワインはコニャックのような香りがした。
この場所にあるものは全て、時間を内包し、過去へ想いを馳せる媒介であるように気がした。
パンは恐ろしく硬かった。
そうか昔のパンをこうだっただろう。
チャイにつけて食べるとどうにか噛み切れる。
パンが保存食だっていうことがよく分かる。
賞味期限がすぐに切れる日本のパンは保存食ではなくなった。
食事も20分程で終了になる。
鐘が鳴り、手を合わせ、席を立つ。
危うく最後に残しておいたワインを逃すところだった。
一気にワインを飲み干す。
そのあと、閉門まで自由時間を過ごす。
18:30を過ぎても何も始まらない。
どうやら今日はこれで終わりのようだ。
19時に過ぎには消灯する。
明日は2時に起床の鐘がなるようだ。
2時に起床の合図がなる 禅宗と同じく、木版を叩く
目覚ましをかけていたが必要なかった。
これでもかという大きな音で、木版(シマンドロというらしい)が叩かれる。
これは永平寺と同じ、起床の合図だ。
修道士への合図はこの木版の音で伝えられる。
どちらが先かはわからないけれど、やはり宗教は互いに影響し合っている。
こういうのが面白いんだよね。
修道士かそれとも禅僧かどちらかわからない。
でも彼らが木版を見て、いいなと思い、自らの所作に取り入れる。
学ぶということは本来、教義と教義を議論するものだけではなく、いいところは取り入れるという柔らかさを持っている。
暗い教会の中にろうそくの光のみが焚かれ、再び祈りが始まる。
これが恐ろしい位に長かった。
2時から6時まで続く。
さすがに座っている時に、目をつむり仮眠をとる。
6時過ぎに朝食を食べる。
僕も次の宿泊のパブロフ修道院まで17kmの道のりがあるため、7時過ぎには出たかった。
ただ食料はあるものの、朝食はできれば食べておきたかった。
そしてこの食堂の雰囲気をもう一度味わっておきたかった。
朝食後、荷物をまとめ、宿を後にする。
宿泊者は8時までには出ないといけない。
いよいよ巡礼の旅の始まり 登り下りの連続 断崖をひたすら超えていく
基本的に、宿泊は一つの修道院で一泊までである。
延泊を希望する場合は許可がいる。
次の修道院を目指す。
ラブラ修道院から今夜の宿泊先のパブロフ修道院までは17km。
普通に考えると5時間程度である。
7時に出れば13時には着くだろうとたかをくくっていた。
同部屋のミーシャはアトス山の山頂に登って、今日は途中のAgios Annaに宿泊するようだ。
割とこのルートが多いようだ。
でもミーシャは最初から地図に載っていない道を登り始めた。
僕にはとても真似できない。
僕は山頂には行かず、海岸線沿いを歩く。
この海岸線と言っても、平坦な砂浜ではない。
砂浜はほとんどなく、一度海岸に降りてはまた崖を登っていかないと行けない。
トンネルという概念はもちろんない。
わかりづらいが、この崖の頂上から真下に降り、また昇るといった具合。
途中、ちょうどいい枝を見つけ杖の代わりにしたが、杖がないと膝への負担がとんでもないことになる。
そんな悪路ではあるが、巡礼の道は、アトスはいろんな表情を見せてくれる。
霧がかかったり
メルヘンチックだったり
エーゲ海リゾードだったり
雲海だったり
夕凪だったり
水墨画だったり
神々しい姿だったり。
その瞬間、瞬間、あらゆる姿を眼前に表してくれる。
だから巡礼者は疲れを忘れ、ふと立ち止まり、帽子のひさしを少し上げる。
「ありがたいな」
ただただこの気持ちにつきる。
そして一歩一歩踏みしめることが一つ一つの祈りであるように、それを積み重ねていく。
歩き始めて8時間。
ようやく今日のパブロフ修道院に着いた。
膝はガクガク、痛みも出ていた。
パブロフ修道院 僕はNon- Orthodox 多分これが普通なんだと思う

16時までに修道院には入らないといけないと事前情報を得ていた。

時間は15時15分。まだ大丈夫だと思っていたが、

もう祈りが終わろうとしていた。

ラブラとは違う時間割で動いているようだ。

完全に出遅れた。

修道士に待つように言われ、皆が出てくるのを待つ。

中から修道士と巡礼者が出てくる。

ラブラで見た人たちも10人ほどいた。

そうか彼らはバスを乗り継いて来たんだな。

だいたい、巡礼の道を歩いている人はほとんどいなかった。

今日すれ違った人も10人もいない。

でも巡礼者は40〜50人はいた。

食堂に案内される。

僕は「クリスチャンか?」と聞かれ、否定すると

一人だけ違うテーブルで食べるように言われた。

今日のメニューは乳粥。

レモンで味付けして、酸味が強いが割と美味しい。

サラダやワインはない。

皆にはスイーツらしきものが配られたが、僕の席は素通りだった。

その後、部屋に通されるとそこは個室だった。

それはそれで嬉しかったが、やはり区別されている。

シャワーも温水が出て、設備はとても良かった。

朝が早いだろうからすぐに寝る。

2時シマンドロが打たれる。

教会に人の足音などもしないため、まあ3時くらいに始まるのだろうとたかをくくっていた。

2時30分に行くと、もう祈りが始まっていた。

修道士ではない人が、僕に聖堂の中に入るように促す。僕が足を踏み入れると

「シッ」と口を鳴らす音がする。

異教徒は外から見守るしかないのである。

そうこれも一つの現実である。

僕は洗礼も受けていない。

中に入れないのには理がある。

昨日のラブラとの違いを考える。

そして昨日の「受容」そして今日の「区別」の意味を考える。

違うけれど受け入れる違うから分ける。

それは善悪ではなくて、方針だ。

そう納得させる。

5時すぎに僕は祈りを途中で辞す。

やはり心に引っかかっていたのは、お呼びではないことへの後ろめたさだ。

見世物ではないんだよな。

わかってはいる。

朝食を食べずに、僕はダフニ港を目指し歩き出す。

三日目は、やはり島を出ようと思った

シモノス・ペトラは満員で入れず、もう一つの修道院は連絡がつかなかった。

そしてパブロフ修道院でのお呼びじゃない感。

アポなしで泊めてくれということもできるだろうが、修道士の日常を少しでも乱したくなかった。

だから三日目は泊まらずに港に行き、ウラノポリに戻ろうと決意した。

6時に出て、一路17km先のダフニ港を目指す。

相変わらず、アップダウン。

昨日の膝の痛みがもう戻ってきている。

シモノス・ペトラまでの道は本当に厳しかった。

そしてようやく出会えたシモノスペトラは、立派な建物だった。

僕は中には入れない。

だからラブラで得たような感慨も得られない。

泊まりたかったな。

やはり宿泊し、祈りを経験してこその修道院であると思う。

途中、巡礼者に声をかけられ一緒に写真を撮ろうと言われた。

こうして声をかけてくれるのは嬉しい。

杖をつきながら、僕は映画「ZEN」のことを思い出していた。

高橋伴明監督のこの映画に僕はスタッフとして参加している。

禅 (道元禅師) + 日本語字幕

すごいね。You tubeでフルで観れます。

道元禅師が錫杖をついて、本当の仏法(正法)を探す求道の旅に出る。彼は中国を旅し、偽物の多さに落胆するが、何人かの本物に出会う。

道中、主人公の中村勘太郎さんは姿勢を正し、錫杖を力強くついていた。

疲れの中でそれは少しありえないとその時は思っていた。

でもこうして巡礼してみると、姿勢を正し、強く杖をつく姿勢が一番体に馴染むと気づく。

聞こえるのは杖を地面に突き刺す音、断崖を踏みしめる足音、そして乱れる呼吸。

それが無数にループすると祈りのようで、少し恍惚な心持ちになる。

巡礼、それはまさしく「祈り」なんだ。

あの時の勘太郎さんの姿勢をイメージし僕も一歩一歩進み、祈りを重ねていく。

12年前の僕は想像できたであろうか?

40過ぎて、ギリシャのアトス山で、求道の旅をしている。

想像ができなかったからこそ

人生は面白いと思う。

僕が直感で感じた、シモノス・ペトラとチベットのポタラ宮殿の類似点。

今思うと、それは外観よりも宗教そのものの類似点であったように思う。

それは仏教とキリスト教が似ていると言っているわけではない。

「祈り」という一点において、どの宗教も共通しているところがあるんじゃないかということ。

つまり、「祈り」においては、宗教、宗派を超えて、人々は和合し合えるのではないかと思う。

祈る対象はそれぞれ異なるが、

人類が1000年以上続けてきた祈り自体は、とても普遍的であるように思う。

僕はラブラ修道院のあり方にとても感銘を受けた。

受け入れるという懐の広さ。

僕はそっち側に立っていたいと思う。

これも、アトス山巡礼をしたからこその感慨である。

旅の楽しさは、僕はここにあると思う。

話し相手のいない、杖、足音そして呼吸の音の中で、自分と向き合う時間を持っている。

僕はどこに向かおうとしているのか?

何がこれからの人生で大切なのか?

僕はこの旅で何を感じ、それを誰にどう伝えようか?

どうしたら違いを乗り越えて、伝えることができるのか?

そんなことを考えては、答えを出したようで、すぐに忘れてしまう。

ただ旅に出る前の僕の日常は

何をするべきか

いつまでにやるべきか

このままじゃダメだ

そんなことばかりだったように思う。

あと残り、5か月。

歩き続けていきたいと思う。

多分、最後まで読んでくれる人は妻ちゃんくらいだと思うので、いつもありがとう。

もしかしたらおでぃも読んでくれているかもしれないので、帰ったら生ビールおごります。

では

また日

この二つ並んだ十字架が僕は夫婦に見えて仕方がない。

僕もこういう夫婦でいたい。

では

 

 

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コメント

  1. kanzan より:

    3月にアトス山へ(巡礼に)行きます。
    シモノス・ペトラスも訪ねる予定です。
    とても興味深く読ませていただきました。

    ありがとうございます。

    • rusamakisawai より:

      羨ましいです。
      僕はシモノスペトラは満員だったので。
      またいつか巡礼したいと思っています。
      今回の世界一周でアトス山巡礼は特別なものでした。そして正教との出会いがパレスチナでもアフリカでも続きました。
      アトス山巡礼は一人一人にとって特別なものとなると思います。よい巡礼を心から願っております。オウラノポリで泊まった宿もよかったので是非。
      では

  2. kanzan より:

    先日無事に帰国しました。
    シモノスペトラは石畳の美しい修道院でした。
    イヴィロンには日本人の修道士の方がいて、いろいろとお話を聞くことができました。
    ささやかですが、この巡礼から受けた恩恵を周囲の人たちと分かち合っていくことができれば幸いです。
    巡礼にはそのような役割もあるのではないかと感じています。
    貴重な情報をいただき、ありがとうございました。

    • rusamakisawai より:

      Kanzanさんの経験を拝見できる機会があれば教えてくださいね。サイト見ました。個人的にとても興味があります。では

      • kanzan より:

        上記サイト「ノート」をご覧ください。

        「ZEN」は映画館で拝見しました。禅の道場では雲水の方と一緒に参禅させていただいたこともあります。若かった頃の懐かしい思い出です。