【ベツレヘム】パレスチナ 訪問するということが知ることが誰かを勇気づけることになるとしたら

イスラエル

マルハバ(パレスチナの言葉でこんにちわ)

またびのまさるです。
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パレスチナはイスラエルと異なり、アラビア語です。

ヨルダンと一緒です。

またトルコの言葉はメルハバなのでとても似ています。

ベツレヘムは、イエス・キリストが生まれた生誕教会があります。

実はここはパレスチナ自治区なのです。

パレスチナ自治区って何?

このパレスチナ子どもキャンペーンが割とわかりやすかったです。

パレスチナ問題とは|パレスチナ子どものキャンペーン
(エルサレム) 兵士に立ち向かう素手の少年の姿。あるいは破壊された家の前でぼう然とする家族...。 「パレスチナ問題」という言葉は日々のニュースで取り上げられています。また教科書の中で誰もが一度は目にしているでしょう。 パレスチナにあるエル...

大雑把に説明すると第二次世界大戦後に、イギリスはユダヤ人国家の建設を約束した手前、パレスチナの一部をイスラエルの領土とすることを了承。1948年国連の分割案に沿って、イスラエルが建国する。それに反対する住民のパレスチナ人がアラブ周辺諸国の援助のもと、蜂起するが、イスラエルが戦力で上回り、領土をさらに広げた。1993年になってようやくパレスチナ自治協定が結ばれ、パレスチナの自治区が認められる。しかし2003年には壁を建設する、ガザ侵攻などイスラエルの干渉は現在も続いている。

上記サイトより引用

この図がよくわかるのですが、オレンジのパレスチナのエリアが著しく減少しているのがわかります。左の海沿いのエリアはガザ地区。今一番衝突が起こっている場所で、ここはハマスというイスラム主義を掲げるパレスチナの政党が実権を握り、イスラエルに対して抵抗をしています。

上の図を見ても明らからで、戦闘状態のガザはまだ形を保っています。でもウェストバンクはズタズタですね。だから一重に抵抗=悪とは言い切れないのかもしれません。

さすがにガザ地区には危険で入れないので、僕は右側のどんどん点みたいに小さくなっているエリア(ウェストバンクと呼ぶ)に行きました。

ここでもベツレヘム、ヘブロンそしてジェリコと三つの街を訪れますが、それぞれイスラエルとの関わりが異なります。

簡単に言うと、ベツレヘムは壁で仕切られ、ヘブロンは市街地の中までユダヤ人地区が入ってきている、ジェリコは壁もユダヤ人地区もあまりない印象です。

現在、エジプトのダバブでスキューバのライセンスを取る相方待ちでやることがないのでパレスチナ三部作をお送りします。

多分、そのために時間が空いたのだと勝手に運命を感じています。

① ベツレヘム 行き方 エルサレムからバス一本 特に検問なし 6.8シェキル 30分

イエスキリストが生まれたと言われる生誕教会があります。

世界で一番楽しいクリスマスだと言われている街です。

他にはバンクシーで有名な、パレスチナの分離壁に描かれたアートが有名です。

行き方は恐ろしく簡単です。

エルサレムのダマスカス門の入り口近くにあるバスターミナルの21番のりばで、231番バスに乗ります。

このバスは、ベツレヘムに直行というよりは壁があるため、少し通り過ぎてからUターンしてベツレヘムに入ります。知らずにいてどこに連れて行かれるんだと焦りました。

② ベツレヘムに来たらバンクシーのホテル「The Walled Off Hotel」に

バンクシーはイギリス人のアーティストです。

先日オークションに出品された彼の絵が1.5億円で落札された途端にシュレッダーでズタズタになったことで話題になりましたね。

1.5億円で落札の絵 バンクシー「全部裁断のはずだった」作製過程を公開

彼が2017年にベツレヘムに「世界一眺めの悪いホテル」と称してホテルをオープンさせました。

ホテルのホームページはこちら

The Walled Off Hotel

目の前は、そうイスラエルとパレスチナのエリアを分ける分断の壁。

さらに個人的にはこのホテル世界一高いドミトリーなんじゃないかと思う。

一泊60ドル!

バンクシーの作品の中に泊まれると考えれば安いかも。

またドミトリーも僕の時は二人、他の日も割と人数が少なかったですし、誰も泊まっていない日もありました。なんか宿泊の際に、備品を壊したり、持ち出したりしないように誓約書にサインするのですが、その表で宿泊者数が大体わかりました。11月はすごく空いていました。

だから60ドルでダブルの部屋に泊まって、知らない人と同室を余儀なくされたと思えば、そんなに高くないです。

でもって人はミュージアムに入ったり(15シェキル)、お土産のTシャツとかもあるので、それでもいいと思います。

この写真はロびーです。ここは宿泊者以外も入れます。夜はバーになって、自動のピアノ演奏があるそうです。(またびは知らなかった。。。寝ていました)

ロビーは1917年にイギリスがパレスチナを手中に収めたその当時の当局の雰囲気を演出しているそうです。皮のソファーがなんか印象的でした。このソファーはちょっと欲しいと思いました。

オープンした2017年というのはこのイギリス統治の1917年からちょうど100年になる年を選んだ訳です。

これがドミトリーの部屋

なんか兵隊が泊まる宿営みたいですよね。

これもバンクシーの演出で備品はイスラエルの宿営から持ってきたもののようです。

照明の傘が雰囲気ありますよ。

ここに泊まったまたびはイスラエルの兵隊の生活を追体験したわけです。

でもなんでバンクシーはイスラエルの宿営を宿泊者に経験させたかったのだろう?

バンクシーがこのホテルを建てた目的は

「今回はファンとの対話ではなく、いつもテルアビブのクラブに足を運び、週末を楽しんでいるイスラエルの若者との対話を生み出すことだ」

イスラエルの若者たちは兵役がある。兵役で過ごした同じ生活をお金を払ってもう一度このホテルで経験することの意味。

僕たちが、税金を払って、政府を支えること。このことと関係があるんじゃないか。

こういう小さな「なんで?」を考えるのはとても楽しい。

バンクシーと対話をしているようです。

皆さんもバンクシーと少し対話をしてみましょう。

バンクシーとの会話 ホテルの中のオブジェを通して何が見え、何を感じるのだろう

壁は生きている。

怒りを表す人、愚かな発言をする人、希望を口にする人、そして絶望する人。

壁は生きている。

私にとってこの状況は嘆きの壁である。

Banksy

彼はこのホテルの作品にもメッセージを込める。

例えばこのダビデ像

催涙ガスから身を守るダビデ。

ダビデは僕も初めて知ったのですが、ベツレヘムで羊飼いをしていた美しい少年だったそうです。預言者から次の王になると言われ、巨人のゴリアテを得意の投石で倒します。その後前王にその美貌と人気を妬まれしばらく潜伏します。前王が死んでようやくダビデはイスラエルの王になります。

ダビデ王の物語のざっくりしたものはこのサイトが分かりやすかったです。

ダビデ王の物語をざっくり解説してみる(旧約聖書) - NAVER まとめ
『旧約聖書』に登場するダビデ王。名前は聞いたことはあるけれど、どんな人だったの?ダビデの物語をイラストと共にざっくりまとめてみました。

そのダビデが催涙ガスに巻かれながらも、投石しようとしている。しかし得意なはずの投石も、両手がないため、投げられない。

ダビデは今のパレスチナの若者を指しているのかもしれない。

いやイスラエルの若者の方かもしれない。

かつてイスラエルを守るために、投石し、巨人ゴリアテに立ち向かったダビデは、今はどこに向かって行こうとしているのか?

そして巨人ゴリアテは今のイスラエル政府を指すのか?

ピアノの前には正教のイコノスタシスを思わせる窓には無数の落書きが

そして天使は息も絶え絶え呼吸器をつけている

隣の十字架は縄がつけられ、それが鉤十字として武器のように使われる。

宗教や信仰が今や凋落し、それは正しさを振りかざすただの武器になってしまっていると僕は感じました。

そしてこれ

これはバルフォア宣言の場面を模している。

イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアがロスチャイルド男爵に送る手紙を書いている。

その手紙が内容が、今のパレスチナ問題の発端である。

イギリス政府の方針として、パレスチナにユダヤ人国家を建設に賛成し、支持する。

この人形は機械仕掛けになっていて、ボタンを押すと手が動いてぐしゃぐしゃと紙に線が引かれる。

そのオートマチックさというか機械感が悲劇の発端にしてはあまりにもあっさりしていることに驚きを隠せない。

ここから始まった100年間の苦難や犠牲者を彼は想像しただろうか?

ホテルの中のミュージアム 小さいけれどパレスチナを知ることができる展示

パレスチナの他の都市を訪れる前に、まずはバンクシーのホテルのミュージアムに行くことをお勧めしたいです。

宿泊者は無料ですが、一般の人は15シェキルです。

30分くらいで見ることができる小さなミュージアムですが、その展示内容といか展示方法がとても面白いのでその一端を紹介します。

まずは壁について、1967年からベツレヘムを含むウェストバングはイスラエル軍の占領下に置かれる。壁の建設は2002年から。壁は2000年から2005年の占領に対する暴力、暴動の増加に対しての一時的な措置のため建てられることになる。しかし壁の計画自体はずっと前の1992年には始められていて、その時期は1988年から1993年の長い時期平和であったにもかかわらず。壁は拡張を続けていて、完成時には総延長850km、パレスチナの土地の85%にまで伸びる予定だ。

壁は現在810km。15億円かかり、イスラエルの中でもっとも大きなインフラ計画である。壁はパレスチナの土から作られている。ウェストバンクの採石場から掘られたものコンクリートも一部にはある。壁のブロックはクレーンで吊り下げ設置される。パレスチナ人を封じ込める壁の建設はパレスチナ人ができる数少ない仕事の一つだ。壁は二つの国を分けるバリアだけでなく、双方に等しく影響を与えるものだ。壁はパレスチナのウッェストバンクの中にあるチェックポイントでありそしてコロニーでもある。中心部はコンクリートで、他のエリアは溝、警報器がついたフェンス、鉄条網、監視塔、ドローン、監視機器が使われている。

壁の変遷

1992年 当時のイスラエルの首相によって壁の提案が出される。

1994年 最初の小さな壁(高さ2.5m 1.8km)の壁がウェストバンクの、セトルメント(入植地)に建てられる。

1995年 Shahal委員会が壁の全建設を提案

2001年 最初の壁のブロックが置かれ、今も続いている。

イスラエル政府からPRのために壁に名前が付けられている。

1994年 The Fence for Life 命のフェンス

2001年 Anti-Terror Fence 反テロリストのフェンス

2004年 Separation Barrior 分離バリア

最初は大義名分を思いっきりチラつかせて、次にはテロリスト憎しを煽り、最後は分離のバリアってのが政府の考え方の変遷を表しているように見える。2004年以降はもう、完全にパレスチナを隔離する気満々というニュアンスが伝わります。

ガザ地区は海からも陸からも完全に包囲されています。

かつてのガザの海はこれほど豊かだった。

残念ながら、壁を作ることだけでは終わらないのです。

パレスチナ自治区の中に、ユダヤ人が家を建て(Settlement)を、その周りを壁で囲い、さらに壁を拡げるのです。

セトルメントはイスラエル政府や個人企業がパレスチナの地に建てた家やアパートです。東エルサレムを含むウェストバンクに54万7千人の入植者が居て、137棟のセトルメントと100の居留地があります。壁がこの周りを覆い、一方で彼ら自身もセキュリティのために自分の壁を持っています。セツルメントは国際法では違法です。しかし一旦建てられるとイスラエル政府が土地に実際に建っているという事実をみなします。セツルメントは軍事的な保護を受け、加えてセツルメントのグループはパレスチナ人の住民自治体に対して自警の為記録をつけている。

最初はオリーブ畑に小さなシェルターのような家が建てられ、それから家になり、壁で覆い、拡張する。その結果、ウェストバングは、ガザと違って、虫食いのように領土を減らしていきます。

これがベツレヘムにあるセツルメントです。

僕にはバベルの塔にしか見えなかったです。

もう一度掲載しますね。パレスチナ領の変遷です。

壁の中に封じ込められたパレスチナの人々は、壁から簡単に出られないように、イスラエル政府から制約を受けます。

まずはナンバープレート

 

上がイスラエル。下がパレスチナの人のナンバーです。

そしてパスポート(身分証)

イスラエルのもの。

そしてパレスチナ人は住んでいるエリアで細かく分けられます。

この身分証によって、移動の自由、住む場所、仕事が制限されます。

ガザの人が一番厳しく、ガザの外に出ることすら難しいです。

パレスチナのタクシー運転手に貰った写真があります。

これがパレスチナの朝の日常です。

彼らはウェストバンクのベツレヘムからエルサレムへ仕事や学校に行く人々です。

毎朝、ここでチェックポイントを通過するために、2時間待ったり、酷い時には早い時間で閉められたりするようです。

しかも彼らは、毎月パーミット(通行許可証)を2000シェキル以上払って貰っています。

2000シェキルというのはだいたい6万円以上です。

6万払ってもパレスチナでの仕事でもらえる給与よりはエルサレムで働いた方がいいのです。

さらにパレスチナでは仕事が少ない。

これがチェックポイント(検問所)です。

エルサレムに行った人たちの車です。毎日これだけの人がチェックポイントに並ぶ。

泣きたくなると思います。

またびは空港で出国するときに3時間かかっただけで泣きそうになりました。

これがパレスチナの毎日です。

ミュージアムの壁に受話器がかかっています。

途切れることなく、呼び出しのベルが鳴っています。

たまらず手にとって、受話器に耳を当てる。

「こちらはイスラエル軍です。あと5分後にあなたの家はブルドーザーで壊されます。今すぐ避難してください」

こちらの応答も聞かず電話は一方的に切れます。。。。

そして5分後。

大切な家はブルドーザーで破壊されます。

そのために開発されたブルドーザーがあります。

The walled off hotelのサイトより引用

外に出て実際に壁を見てみましょう。

これが分離壁 壁に描かれたグラフティは非暴力、アートの力で壁を乗り越えようという意思

オリーブの樹はパレスチナを表す樹です。

樹齢1000年を超えるオリーブの樹が結構あります。

そのオリーブの樹を倒し、セツルメントが建てられます。

オリーブの樹は家族の歴史、土地の歴史を内包しています。

そしてそれは決して諦めないことの象徴です。

壁にこんな話が書かれていました。

LOVE

My son fell in love with a girl from Jerusalem.

私の息子はエルサレムの女の子と恋に落ちた。

It was difficult for him to visit her because he needed a permit but she was able to come and visit him here in Bethlehem.

でも息子が彼女に会いに行くのは出来なかった。息子にはパーミットが必要だったから、だから彼女がここベツレヘムに会いに行きていた。

He could not get permission to visit her even when she became ill.

息子は彼女が病気にかかった時にパーミットをとろうとしたが出来なかった。

After four years she died.

4年後、彼女は死んだ。

She put in her will that she wanted my son to carry her coffin at the funeral.

彼女は遺書を残していた。私の息子にお墓で棺を運んで欲しいと。

He tried to get a permit to do this but this was denied.

息子は必死でパーミットを取ろうとした、でも拒否された。

He decided to go to Jerusalem without a permit.

息子はパーミットなしでエルサレムに行くことに決めた。

The Israeli soldiers caught him ,beat him badly and put him in prison for thirty days.

イスラエルの軍人が息子を捕らえた、ひどく殴り、30日牢獄にぶち込んだ。

He missed the funeral.

お葬式には行けなかったのだ。

He had a nervous breakdown and was ill for two years.

息子は気を病み、2年間床に伏していた。

Ellen ,from Beit Jala.

ちょっとわかりづらいですが、奥が分離の壁。

手間の左はパレスチナの小学校の壁です。

パレスチナの小学校は分離壁の近くで子供が流れ弾や催涙弾などに巻き込まれないように壁で囲んでいます。

分離壁と

小学校の壁。

一方は、人を選別し、分けることで、悲劇を生み、対立を生み出す壁。

もう一方は、子供を危険から守る壁。

もしも壁が人格を持つのであるとすれば、壁は後者でありたいと願う。

こんなところに日本人! 春樹さんが壁について言及していた

みんなの記憶にうっすら残っているかもしれない。

2009年、村上春樹はイスラエルのエルサレム文学賞を受賞します。

彼はエルサレムを訪れ、そこで演説をします。

全文を掲載します。

パレスチナを訪れて、壁を前にして彼の言葉を聞くと、また気づくことが多いです。

Always on the side of the egg
どんなときも私はたまごの側に立つ
I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
私は今日小説家として、ここエルサレムの地に来ています。小説家とは、“嘘”を糸に紡いで作品にしていく人間です。
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders.
もちろん嘘をつくのは小説家だけではありません。知っての通り、政治家だって嘘をつきます。外交官だろうと、軍人であっても、あるいは車の販売員や大工であろうと、それぞれの場に応じた嘘をつくものです。
The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
しかし、小説家の嘘は他の職業と決定的に異なる点があります。小説家の嘘が道義に欠けるといって批判する人は誰もいません。むしろ小説家は、紡ぎだす嘘がより大きく巧妙であればあるほど、評論家や世間から賞賛されるものなのです。なぜでしょうか。
My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies – which is to say, by making up fictions that appear to be true – the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it.
私の答えはこうです。小説家が巧妙な嘘をつく、言いかえると、小説家が真実を新たな場所に移しかえ、別の光をあて、フィクションを創り出すことによってこそ、真実はその姿を現すのではないかと。
In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form.
ほとんどの場合、真実を正確に原型のまま把握することは実質的に不可能です。そう考えるからこそ、私は真実を一度フィクションの世界へと置き換え、その後フィクションの世界から翻訳してくることによって、隠された場所に潜む真実をおびき寄せ、その尻尾を掴み取ろうとしているのです。
In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.
そのためには、まずはじめに私たちの中にある真実がどこにあるのかを明らかにしなければなりません。これは良い嘘をつくためにはとても重要なことです。
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
しかしながら、今日は、私は嘘をつこうとは思っていないのです。私はできるだけ正直であろうと思っています。私が嘘をつかない日は一年のうちほんの数日しかないのですけれども。しかし、今日はそのうちの一日です。
So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.
そういうわけで、“本当のこと”をお話します。このエルサレム賞は受け取らないほうが良いのではないか、この地に来ないほうが良いのではないか、そう助言してくる人が少なからずいました。もしここに来れば私の本の不買運動を展開すると警告してくる人さえいました。
The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens – children and old people.
もちろんその理由は、ガザ地区で激しい戦闘があったからです。国連のレポートによると、1,000人以上の人々が封鎖されたガザの中で命を落としました。その多くは、子供や老人も含む非武装市民です。

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power.

授賞式の案内が届いてからずっと、私は自らに問いかけてきました。このタイミングでイスラエルの地を訪れ文学賞を受賞することがはたして適切だろうか、このような衝突下にあって、わたしが片方を支援するという印象をつくり出してしまうのではないか。圧倒的な軍事力を浴びせることを選択した国家政策を支持することになるのではないか、と。

This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
もちろん私はそのようなことを望んでいません。私はいかなる戦争も支持しませんし、いかなる国の支援もおこないません。付け加えれば、私の本が不買運動をおこされるのを見たいとも思いませんしね。
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it.
悩みぬいた末、しかしながら最終的に私はこの地に来ることにしたのです。決断した理由の一つは、あまりに多くの人がこの地にこないほうが良いと私に言ってきたからです。
Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me – and especially if they are warning me – “don’t go there,” “don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that.” It’s in my nature, you might say, as a novelist.
他の多くの小説家と同様、私は自分に言われることと全く反対のことをする傾向があります。「そこに行かないほうがいい」、「そんなことはしないほうがいい」と言われると、ましてや警告なんてされようものなら、私は「そこに行きたくなる」し、「それをしたくなる」のです。これはいうなれば小説家としての私の特性です。
Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
小説家というのは特殊な人種です。小説家は、自分の眼で見たり、あるいは手で触れたりした感覚無しには、何も信じることができないのです。

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

これが、私がここにきた理由です。私は欠席するよりもこの場所に来ることを選びました。何も見ないよりも自分の眼で見ることを選びました。そして沈黙でいるよりも話すことを選んだのです。

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist’s most important duties, of course.

これは、私が政治的メッセージをこの場に持ってきた、ということではありません。もちろん善と悪を判断することは小説家には最も大事な役割の一つではあります。

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories – stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

しかし、その判断をどのような形で他に伝えるかということについては、それぞれの書き手に委ねられているのです。私自身は、それを現実を超えた物語に変換することを好みます。今日皆さんの前に立って政治的メッセージをお話するつもりがないというのは、そういう理由からです。

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction.

そのかわり、この場で極めて個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。これは私がフィクションを書く間、ずっと心に留めていることです。

I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
紙に書いて壁に貼るとか、そういったことではなく、私の心の奥に刻み付けていることがあるのです。それはこういうことです。

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg.
そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。
Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide.
何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。
If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear.
この比喩の意味するところは何でしょうか。あるケースにおいては、それはあまりにも単純明快です。
Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall.
爆弾・戦車・ミサイル・白リン弾は高くて硬い壁である。
The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
卵はこれらに撃たれ、焼かれ、つぶされた、非戦闘市民である。これがこの比喩の意味するところの一つです。
This is not all, though. It carries a deeper meaning.
しかしこれが全てではありません。もっと深い意味もあるのです。
Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you.
このように考えてみませんか。私たちは皆それぞれ、多かれ少なかれ、一つの卵であると。皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である、と。これは私にとっての“本当のこと”であり、皆さんにとっての“本当のこと”でもあります。
And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name:
そして私たちは、程度の多少はあるにせよ、皆高くて硬い壁に直面しているのです。この壁には名前があります。
It is The System.
それは“システム”というのです。
The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others – coldly, efficiently, systematically.
“システム”は私たちを守ってくれるものですが、しかし時にそれ自身が意思を持ち、私たちを殺し始め、また他者を殺さしめるのです。冷たく、効率的に、システマティックに。
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it.
私が小説を書く理由は、たった一つしかありません。それは個が持つ魂の尊厳を表に引き上げ、そこに光を当てることです。
The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them.
小説における物語の目的は警鐘を鳴らすことにあります。糸が私たちの魂を絡めとり、おとしめることを防ぐために、“システム”に対しては常に光があたるようにしつづけなくてはならないのです。
I fully believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories – stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter.
小説家の仕事は、物語を書くことによって、一人ひとりがそれぞれに持つ魂の特性を明らかにしようとすることに他ならないと、私は信じています。そのために、生と死の物語、愛の物語、あるいは多くの人が泣いたり、恐れおののいたり、笑い転げたりする物語を紡いできたのです。
This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
これが私が、来る日も来る日も、徹底的な深刻さで大真面目にフィクションを紡いでいる理由なのです。
My father died last year at the age of 90.
私の父は昨年90歳で亡くなりました。
He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China.
父は教師を引退し、たまにパートタイムのお坊さんとして働いていました。父は学生だった時に、陸軍に招集され中国の戦場に送られました。
As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house.
戦後生まれの私は、毎朝朝食の前に、我が家の仏壇の前で父が長く深い祈りをささげているのを見ていました。
One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.
あるとき私は父に、なぜそんなことをするのかと尋ねました。父は私に、あの戦争で亡くなった人のためにお祈りをしているのだと教えてくれました。
He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike.
父は、敵も味方も関係ない、亡くなった全ての人のために祈っているのだ、と言いました。
Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
仏壇の前で正座している父の背中をじっと見つめるうちに、私は父の周りを漂っている“死の影”を感じた気がしたのです。

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know.

父が亡くなると同時に、私が決して伺い知ることのできなかった父の記憶も失われてしまいました。

But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
しかし、私の記憶の中にある、父の陰に潜む“死の存在”は、今なおそこにあるのです。これは、私が父から引き継いだ、ほんの小さな、しかし最も重要なことの一つです。

I have only one thing I hope to convey to you today.

私が今日、皆さんに伝えたいと思っていることは、たった一つだけです。

We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System.
私たちは皆、国家や民族や宗教を越えた、独立した人間という存在なのです。私たちは、“システム”と呼ばれる、高くて硬い壁に直面している壊れやすい卵です。
To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong – and too cold.
誰がどう見ても、私たちが勝てる希望はありません。壁はあまりに高く、あまりに強く、そしてあまりにも冷たい。
If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from the warmth we gain by joining souls together.
しかし、もし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、それは皆が(自分も他人もが)持つ魂が、かけがえのない、とり替えることができないものであると信じ、そしてその魂を一つにあわせたときの暖かさによってもたらされるものであると信じています。
Take a moment to think about this.
少し考えてみましょう。
Each of us possesses a tangible, living soul.
私たちは皆それぞれが、生きた魂を実体として持っているのです。
The System has no such thing.
“システム”はそれをこれっぽっちも持ってはいません。
We must not allow The System to exploit us.
だから、“システム”が私たちを利用することを決して許してはならない、
We must not allow The System to take on a life of its own.
“システム”に意思を委ねてはならないのです。
The System did not make us: We made The System.
“システム”が私たちを創ったのではない、私たちが“システム”を創り出したのですから。

That is all I have to say to you.

以上が、私が皆さんにお話しようと決めた内容の全てです。

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

最後に、このエルサレム賞の受賞について、心から感謝申し上げたいと思います。また、私の本が世界中の多くの人々に読まれていることについても、同様に感謝申し上げます。そして今日、この場で皆さんにお話する機会を提供いただいたことに、お礼申し上げます。

春樹さん、沁みます!

春樹さんの言う祈り、僕もギリシャのアトスで感じました。なんてね

そして生誕教会へ 壁ができる前のベツレヘムは「祝う」街だった。

壁ができたのは2002年。

まだ20年も経っていない。

僕がもう大人になっている時に壁は作られ始めた。

僕は真剣に反対しただろうか。

この壁を作る、分離するというシステムに対して、僕は対峙できていただろうか。

僕はたまごの存在をただの悲劇として傍観していただけじゃないのか?

そんなことを考えて、生誕教会に行く。

途中、パレスチナの子どもに絡まれる。

みんなとても人懐っこい。

「Welcome to Palestine!」

イランを思い出すね。

彼が僕のカメラを使って写真を撮りまくる。

ちょっとピンボケで、斜めている。

面白いね。

これが彼の切り取り方なんだ。

生誕教会に着くと、空に光彩がかかっていた。

僕は必死にカメラを撮っていたけど、みんなは不思議そうに教会の中に入っていった。

ここはベツレヘム。

2000年もの間、イエスキリストが生まれた地として、クリスマスを祝ってきた。

壁にも書かれていた。

Magical
毎回のクリスマスには、羊飼いの野で知られるベト・サフール( Beit Sahour)で羊飼いたちへの良い知らせを記念してお祝いがあります。
子供の時にそれは夢みたいに不思議だった。
真夜中にキャンドルライトの行列が羊飼いの野まで続くのを憶えている。
ともに歌い、ともに食べ、ともに祈る。そして大きな焚き火を囲む。
そのあと、教会に入り、チョコレートとワインで朝食をともにする。
家族と友達とクリスマスを祝う。
壁もチェックポイントもない。
ここに入ることは許されないなんてことは誰も言わない。
今じゃ全く変わっちゃたの。
分離壁の隣に住むナヴァルの言葉
「人がここに来て、壁を見ている。僕にはそれが「君の味方だよ」って言ってくれているように感じるんだ」

春樹さんのいう玉子の側に立つというのは、こういうことでも十分なんじゃないかと思う。

ここに来て、見て、祈る。

そして一人でも多くの玉子の側に立つ人々がベツレヘムに集えば、それこそ、昔クリスマスを祝っていた頃のベツレヘムにもどるんじゃないか?

来れなくてもいい。

こうして行ってきた人の話を聞いて、それをキャンドルライトを渡すように、友人に伝えることでも十分なんだ。

玉子の側に立つとはそういうこと。

そうした緩やかな連帯が、壁を溶かす、壁をなくす力になるように思う。

さらに僕は決意する。

本物のクリスマスを見るために、またベツレヘムを訪れようと思う。

その時は一人ではなく大切な家族と。

クリスマスをここで祝いたい。

そんなクリスマスに再びベツレヘムがなるように祈る。

 

【役立ちサイト】

VISIT PALESTINEのサイト・情報が的確で、正確です。お世話になりました。

ヘブロンへのアクセス - パレスチナ旅行&観光ガイド VISIT PALESTINE
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100年以上の対立が続くイスラエル・パレスチナ。今回、点在するパレスチナ人の居住地域を別々に率いてきたファタハとハマスの合流が決まりました。統一政府の成立は、今後のアラブ・イスラエル問題にどのような変化をもたらすのでしょうか。専門家に伺いました。2017年11月13日放送TBSラジオ荻上チキ・Session22「パレス...

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「私たちを、忘れないで」オリーブに希望をのせて―混迷のパレスチナ情勢|KOKOCARA(ココカラ)−生協パルシステムの情報メディア
占領下のパレスチナには、先祖から受け継がれてきたオリーブ畑を守り、自由と自治を取り戻そうと奮闘する人々がいます。

 

またび

超大作でした。

でもこれはまだパレスチナ三部作の第一部です。

どうなるんだろう?

自分でもわかりませんが、カイロに行く前に、ダバブにいる間に、三部作と番外編のアウシュヴィッツも含めて、またび平和シリーズを書き切りたいと思います。

そんなにニーズはないのだろうけど、少なくともこのブログに興味を持って、パレスチナのことを知りたいと思っている人がより感じられるように、僕は伝えます。

ベツレヘムのタクシーに案内を頼む必要はありません。

このまたびを読めば、タクシーの案内よりは少し詳しいです。

僕は2時間で100シェキル払ってしまいました。

走行距離は実質2kmくらいでした。

強烈に止めるように勧めます。

では

またび

 

 

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