ルーマニアの一番貧しいとされるジプシーに会う「Forest Gypsy」

ヨーロッパ

ブナ・ジウワ(ルーマニア語でこんにちわ)

現在はギリシャです。



風邪をひき、唇にはヘルペスが出来ています。

疲れが出てきました。

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前々回の続きでルーマニアのジプシーにあった記録です。

欧州に入って観光地を巡っている中で感じていた「こんなことがしたかったのかな?」という疑問がジプシーに会いに行くというプロジェクトを経て、解消しました。

そう

僕はこういうことがしたかった!

だから旅に出た。

その記録です。

ちょっと、今回はうまくまとめられないので、

最初に結論を。

ルーマニアにもし来ることがあるならば、ぜひこのチャックのプログラムに参加してほしい

もうこれに尽きる。

ジプシーって何?どういう差別をヨーロッパで受けているの?どんな生活をしているの?こういうのすべて、一度ジプシーの人々に会って欲しい。

ヨーロッパの路上で会うジプシーの人々だけでなく、定住し、生活していこうとしている人たちもいるってことを、実際に感じて欲しい。

そして何よりもこのチャックのプログラムは

安い!

2泊3日で鳥をさばいて、豚を捌いて、ForestGypsyに会いに行って、

総額177Lei(45ドル)

一人で参加すると割高(300lei位)になるけど、二人以上だと、安くなる。

例→一泊30leiから15leiに

鶏肉を捌く夕食が60leiが30leiに

ForestGypsyが140leiが70Leiに

なかなかこの値段で、ローカルの人々と触れ合える機会は少ないと思う。

その分、ツアーという感じでおもてなしとか段取りがあるわけじゃないので、そこは了承願いたい。

とにかくブラショフに行くのであれば、事前にチャックに連絡してみて欲しい。

とてもいいプログラムです。他にもミュージシャンの家にホームステイというのもあります。

こちらがサイト

Tzigania Tours: Gypsy Tourism

こちらがメール

tziganiatours@tzigania.com

① Forest Gypsyとは? そもそもジプシーって、ロマって何ってとこから
みなさん「ジプシー」って言葉は聞いたことがありますか?
ジプシーキングとかミュージシャンがいますよね。
ジプシーとは
ヨーロッパを中心に各地に散在する民族。箱馬車などに住んだが、現在は多くが定住。男は鋳掛け、女は占いなどで生活をたて、各地で差別を受けた。特有の音楽・舞踊の伝統をもつ。
そしてロマとは
ロマは、ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり、ロマでない集団との関係は不明である。
わかりづらいですね。
もともとは北インドからの移動しながら生活をしていた人々をジプシーと呼んでいたが、ジプシーという呼び方自体が、かつてエジプト人への侮蔑を込めて使われた言葉であるため、「ロマ」と呼ぶようになったという経緯があります。
だから、僕は意識して、ジプシーとは呼ばずに「ロマ」と呼ぶようにしていました。
②ジプシーでも階層がある;実際にチャックのプログラムに参加してみて
ジプシーとひとくくりに言うこと自体が無理があるのかもしれません。
彼らの多くは今は定住し、それぞれのコミュニティーを形成しています。
今回訪れた「Forest Gypsy」はその中でも貧しいグループであるようです。
そして、もう一箇所訪れた「Gabor」は割と裕福という位置付けです。
チャックに聞くと「ロマ」と呼ぶと、やはり欧州でよくスリなどをする集団というイメージが強くそれがまた差別的意味を含むらしい。
だから彼は、個別に「Forest Gypsy」そして「Gabor」と呼んでいます。
また、ジプシーでもお金をたくさん稼いで、ルーマニアになんかたくさんの龍の頭みたいな煙突がついた豪邸を建てている人たちもいます。
だから総称では呼ばずに、それぞれの名前で呼んだ方がいいのだけれど、多分チャックのところではジプシの中の「Forest Gypsy」であり「Gabor」であるという位置付けであるように思います。
③Forest Gypsyに会う。いきなり馬車に乗って森に入る。
待ちに待ったForest Gypsyに会う日。
ガイドのチャックが同行しないと多分コンタクトが取れないと思う。
チャックのホステルから車で10分。
Forest Gypsyの住む「Hetea」という地域に向かう分岐の場所で馬車が出迎え。
これに乗って村に向かう。
森でキノコを採る予定だったが、雨が少なくて今日はできないよう。
森は日の光が綺麗に入る。
小枝や潅木など人の手が入って、整備している証拠だ。
20分ほど馬車と歩くと村が来る。
遠目で見ると小綺麗な村。
着いてまず驚いたのが
洋服の干し方というか、地面にも洋服が落ちていたり、服が溢れていること。
チャックに聞くと、洋服はどうやら寄付があって、無料でもらえるようだ。
この日も、騒ぎが聞こえるので、見ると洋服の寄付の車が来ていて、村人があれがいいこれがいいとやっていた。
寄付は洋服やおもちゃはあるが、食べ物はないらしい。
訪れた家はこちら。
中は綺麗に見えるが、まだ作り途中である。
ストーブもまだ設置されていない。
僕はお土産を持って行った。
スーパーで3ドルくらいで買えるチョコの詰め合わせだが、
やはりこういうものは必要だ。
早速、テーブルに出される。
どうぞと広げられて、まず手を伸ばしたのは同行したオーストラリアの彼。
彼がチョコを口に入れた時に、ママの視線の鋭かったこと。
僕はお腹がいっぱいだと言って断った。
チャックが差し入れたビールも出される。
ジプシーの家の訪問ではお茶を出してもらうことはなかった。
そもそもお茶という文化はないのかもしれない。
子供たちがわーと寄ってくるかと思いきや
思いっきり人見知り
でもそれが旅行者というか他者との接触が少ないことの何よりの証拠だ。
彼らはキノコを売ったり、あとは羊を飼ったりして生計を立てている。
チャックのプロジェクトもそんなに訪問者は多くないようだ。
畑などは持っておらず、やはりどうしてもお金が必要になる。
人によっては街に行って、物乞いをして、お金が貯まったら、物を買って村に戻ってくるという。
盗みをするよりは物乞いをする。
パパが家を作るから見に来いという。
レンガを積み上げ、セメントで固める。
そのあと、チャックが差し入れた小麦粉でパンを焼いてくれた。
2時間ほどの訪問であったが、考えることが多かった。
必要なのは、生産手段
寄付は万能ではない。
多すぎる服はゴミと同じように地面に散らばっていた。
チャックはこの村にキノコ工場を作って、ドライキノコの販売を考えているようだ。
やはりチャックのMeal Projectでいた農家の家のように家畜、畑で食料を生産するというのは必要な生きる力であると思う。
何かを生産するよりも、消費し、足りなくなったら乞うというサイクルからどう抜け出すかが大切である。
近くに小学校ができていたので、教育は届いているようだ。
森、山の恵みを移動することで得ていた彼らの知恵は、定住することで変更を余儀なくされるのである。
定住するということは、自分生み出したもので冬を過ごさないといけない。
それは僕にも言えることだ。
僕は冬をお金を使うことでしか、乗り越えていない。
「Gabor」とても誇り高く、仕事熱心な人々
同じくチャックのプロジェクトでもう一つのジプシー「Gabor」に会ってきた。
Traditionalと書かれていたが、どうやらGaborの一族は昔、王様の軍隊に加冶屋として付き添って、武器や鉄器などの作成、修理をしていた一族であるそう。
そんな知識もあまり知らずに、お宅訪問をする。
こちらはシギショアラからバスでアクセスする。
チャックのいるブラショフから少し離れている。
割としっかりした家。
着くと英語の話せるKrara(クララ)は不在で、それまで近所の子供のガビが村を案内する。
彼は自転車に乗り、まずいきなりお店に連れて行かれる。
何か買ったら?という感じである。
今考えると飲み物でも買ったら?という意味だったと思うが、よく分からないのでポテチを買う。
街自体は小さな教会もあるが、そんなに見所はない。
再び戻るとクララがいた。
(写真はチャックのサイトより)
彼女は忙しそうに、衣装をミシンで縫っていた。
特にお茶が出るわけでもない。
クララは「何か聞きたいことがあったら言って」とミシンを続ける。
ばあばとママは夕ご飯の支度をしている。
写真を撮っていいか?と聞くと、このダイニングだけはいいけど、あとはプライベートだからダメだと言われる。
この答えで僕は悟る。
これは友達の家に遊びに行く感じなんだな
だからもてなされるとか写真を一緒に撮るとかそんな感じじゃないんだな
ってのをひしひしと感じた。
だから写真は残念ながらこの2枚だけだった。
でもそれでもいいと思った。
後からは分かるが、とにかくGabor一家は忙しかった。
パパは車の修理や金属加工をしている。
ママやばあばは家事を中心に、クララはミシンで頼まれた衣装を仕上げていた。
クララは「将来は自分で家具も作りたい」と目を輝かせて話していた。
観音開きの鏡台がいい。
それを販売していきたいと話す。
育児もして、洋裁もして、さらに家具を作れるようになりたい。
多分僕の日本での日常よりも忙しい。
クララは
「子供たちには、いつも忙しくて申し訳ないと思っている。外で一緒に遊んだりもできない」と話す。
クララにハンガリーのことを話す。
僕はハンガリーは好きじゃない(質に価格が伴わないとか、雰囲気が少し排他的)というと彼女も同意した。
クララはハンガリーにいたことがある。
ママが妊娠中に、隣のハンガリー人がバーベキューをした。
普通妊娠中はバーベキューは煙が出るからやらないのに(僕は知らなかった)、そういうの気にしないし、普通バーベキューしたら、おすそ分けもするのに、そういうのもしない。
とっても冷たい人たちだからもう二度と住みたくないと話していたように思われる。
僕の英語力での理解が正しいかは疑問だけど、おそらくそういうことだと思う。
またジプシーの衣装のスカートの上にエプロンみたいな前掛けがあり、前掛けの下にはポケットがあることを教えてくれる。
何かこうした話が僕にはとてもよかった。
それこそ友達の家に行って、お母さんに話を聞いているような、だから何か観光とは違っていた。
その後、一応ツアー代金の40lei(10ドル)を支払う。
するとご飯を食べていけ、料金に含まれているからと、対応が明らかに変わる。
最初から支払っておけばよかった。
夕食は豚のフライにマッシュポテトとスープが出た。
食事前に手を洗いたくてトイレを聞くとまず、洗面所に案内される。
そこでママから
「子供の前ではトイレって言わないのよ」
と言われ、トイレの場所を教えてもらう。
何かとてもGaborの人たちは誇り高い人々だなと僕は印象として持った。
私たちはジプシーだけれど、いわゆるジプシーやロマではないの。
自分たちで生産して、暮らしているという誇りを感じるとともに、とても忙しくて大変だなとも感じた。
ご飯の後に、クララの3歳の娘と6歳の長男を誘って、外で縄跳びして遊ばないかというと、クララに娘はまだ3歳だからとたしなめられる。何かこういう所一つとっても、Gaborの所は誇り高き一族なのですな。
だからジプシーと一括りにはできないのです。
6歳の長男とその後縄跳びをしてサッカーをして遊ぶ。
彼はとても喜んでいた。
10分ほどすると彼は父親に呼ばれ、サッカーを止めた。
そして地面について油汚れを油で拭くお手伝いをし始めた。
子供と遊んでばかりいられないんだな。
彼らの日常を残念ながら僕は邪魔しているように感じた。
僕はお邪魔することにした。
イメージという曖昧さ そして作られたものを再編集することの大切さ
僕が勝手にイメージしていたロマの人々は、映画で見たように、定住せず、その日暮らして、音楽に乗せて、踊り、今を目一杯楽しんでいる人々。
でも僕が今回あったGaborもForestGypsyも、そのイメージとは違った。彼らは享楽的や刹那的でもなくて、
日常を生きていた。
彼らにとっては当たり前のことだけれど、僕のイメージからは当たり前ではなかった。
ジプシーやロマと聞いて、パリの地下鉄に現れるスリの子供たちを思い出す人のいるかもしれない。
享楽的な人も、盗みをする人も、また真面目に生きている人もいるのは事実である。
じゃあこのイメージって何だ?
イメージってもので集団を一括りにすることの罪深さを改めて知る。
そして
見て、経験していないことについては私たちは
知らない
って正直に言うことが大切なのではないかなと思う。
そこから
知りたい
につながり
会いたい
となって、
知る
のである。
でもこの知るは実は
ほとんど知っていないことを知る
ことであり、でもその
知らないということを知る
このサイクルがとても大切なのだと思う。
イメージで人が語られる時
イメージで集団として括られる時
イメージに感情を伴って語られる時
そんな時に
ちょっと待てよ
僕は知らないから知りたいというこのサイクルをたどることはとても大切なのではないかと思う。
ここ20年特にそのイメージの受け売りがひどいように思う。
生活保護ガー
在日ガー
北朝鮮ガー
韓国ガー
そんな時、自分で知ることから始めないと今は道を間違えることが多いように思う。
僕はジプシーやロマの人たちのことをイメージだけで捉えていた。
そして、そのイメージが彼らを苦しめていることもあると知った。
これからアフリカを旅をする。
ユニセフの写真で見た飢餓に苦しむアフリカがそこにあるのか。
アメリカ大陸に行く。
そこには温暖化で住む場所がなくなったホッキョクグマがいるのだろうか。
そういうことを体感として、肉体で感じ、知ることはとても大切なのだと思う。
ちょっとまだブログにあげられていないのだけれど、
僕はアウシュビッツに行った。
そこでなくなった人の髪の毛、メガネ、使っていた食器の山を見る。
その数を見て、僕は体感として、肉体として
ヒトラーも正しいところがあったという説は
ありえない
と感じた。
そしてそうした修正を図ってくる動きに対して
それを認めてはいけない
と感じた。
言えないってそんなこと。
これだけのユダヤ人、そしてポーランド人さらにはロマの人々も殺された大虐殺を招いたヒトラーを正しいところはあったと言い切りことで一体何を守ろうとしているのか?
彼が最低だと思うのは、敗戦を覚悟した後に彼は裁判で全てを語り、絞首台に登ったのか?
否。
彼は地下室でピストルで自殺した。
何と軽い責任。
この一点だけでも僕はヒトラーを許さない。
これは一つ、今回のまたびの成果であると思っている。
情報をこねくり回した理論よりも
訪問し、実際に見たことにより信念の方が
はるかに強い
すみません。人に読ませる感じではなかったのですが、まとまってもいませんが、今はこういう気持ちです。旅をすることで信念を固めているのかもしれません。
またび

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