【中国の絶景】東チベット破壊される景色 アチェンルガルゴンパの未来 外国人入場禁止とは!

アチェンガルゴンパ アジア
アチェンガルゴンパ

衝撃的なニュースが入ってきました。

中国のアチェンガルゴンパが破壊されている

https://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/shaoshuminzu/dz-08302019131614.html

そして破壊される前

僕が訪れた2018年の5月の写真を見て欲しい

アチェンガル 亜青寺
破壊される前のアチェンガルゴンパ 丘の上から 桃源郷のような空間

アチェンガルゴンパ
小さな小屋が立ち並んでいる。尼僧がこの小さな小屋の中で暮らし、修行している。
真ん中の道路から左が全部破壊されたことになる
通りのエリアは尼僧の生活エリアのため、男性は入れない。
アチェンガルの桃源郷の景色はこうした一軒一軒の小さな小屋の集合である

このアチェンガルは、中国の四川省カンゼ・チベット族自治州の甘孜(ガンゼ)から乗合タクシーで2時間30分ほどの場所にある亚青寺を中心とした一種の門前町というか修業場です。

ここには「亚青宾馆」というホテルもあり、宿泊もできます。

中国の中でも、随一というかとても魅力のある景色がある場所です。もう一つ有名なラルンガルゴンパは僕が行った2018からそして今でも外国人の入場禁止エリアです。

ラルンガルゴンパはアチェンガルよりも規模が大きく、赤の氾濫というイメージが鮮烈です
https://travelzaurus.com/larongtanchengbinguan/参照

中国政府が観光に力を入れ、再開発しているという噂であったが、未だに解放されていないところを見ると、観光目的というよりは、「見せない」ことに目的があるようにしか思えません。

このアチェンガルゴンパは中国の中でも、いや世界の中でもトップクラスの異世界といか、異空間で改めて、ブログを書きながら、「行っておいて良かったな」としみじみ思います。

たとえ、超・超・希望的観測として、中国政府がアチェンガルゴンパを整備し、観光地として再開発したとしても、この雰囲気というものはもう二度と見られないものだと思います。

小さなみすぼらしい小屋が、ひとりひとりの信仰の集まりが、さらに年々と受け継がれた歴史が相まってこの世界を作り出していました。

それを「開発」という大義名分で破壊してしまうことの、歴史や文化への恐ろしいまでの暴力に対して、強く強く異義を唱え、世界遺産、地球遺産、文化遺産を未来へ守っていくことの意義を訴えていきたいです。

僕にできることは、僕が見たこのアチェンガルの写真をブログで共有することで、中国政府だけに限らず、歴史や文化を破壊しようとする一切の政府、企業、団体に対してのわずかでもブレーキになればと思います。

声を大きくしていくことが、よい社会、よい未来、よい生活への第一歩となるはずです。

この日は大勢の僧や信者が集まり祈祷をしていた。
日差しが強いのでめいめいが傘を持ち集う
足が悪くとも信仰のため集う
生きることは祈ることを実践する
人が一人ギリギリ入れるくらいの小さな小屋が家
留守の小屋にはヤギがちゃっかり居候

改めてこの景色が失われたこと、戻ることのない世界を考える

丘の上に立つニンマ派の僧グルルムチ像
何を想う

でも誤解しないで欲しいことは、僕が批判しているのはあくまでも

『中国政府』についてである。

中国政府と中国人民を分けて考えて欲しい。

中国人民はそっけないが、仲良くなるというか少し話をするととても親身になってくれる。

写真を変わったところで撮っていると、「何しているんだ」って感じで寄ってきて、同じように写真を撮ったりする。

インスタ映えをとことん追求して、ドレスまで着て格好良く写真を撮る。

公園ではみんなで集まって、よく分からないダンスをしたりする。

これはどの問題でも当てはまる。

イスラエル政府が悪いからといって、イスラエル市民が悪いわけではない。

同じく日本政府を批判したからといっても日本人を批判しているわけではない。

この対象を限定する、分けて考えるということはとても大切な視点であると思う。

作家の平野啓一郎さんが言っている『分人主義』https://www.d3b.jp/youth/476にも通じることであるが、僕は日本人であるが、日本政府ではないし、また日本人であるが、日本人という側面だけではない。児童養護施設職員であるが、またびのブロガーでもあるし、長野県の出身者であり、映画を志した落伍者でもある。そしてその全てを人格として「まとめて」考えるのではなく、分けられるもの、分人として見る。

だから中国政府と中国人民は分けて考えるし、また中国人民の中でも多種多様の人が存在することを許容している。

ただ中国政府の方向性はこの分人主義とは真逆、国家としてまとめる一つのナショナリズムである。

中国政府はこのアチェンガルゴンパだけでなく、ウイグル自治区ではモスクが形骸化し、若年男子が激減していたし、チベットも道路や町が再開発している。

開発という名のもとに、それぞれの信教の自由を制限し、政府よりも高い地位の権威や指導者を認めない。

ただ中国政府は馬鹿ではない。開発の旨味や道路やインフラを整備することで、清潔や快適、便利という果実を人民に提供する。

50年や100年先を見据えて、チベットやウイグルの中国化、すなわり統一、支配を進めている。

多様性こそ、中国の良さなのであるが、内乱や分裂を恐れ、安定や統一を目的とした強引な統治が行なわれている。

僕たち外国人ができることは、実際にその場所に行き、発信することであると想う。

そして未来の潮流の中で、いかに人をカテゴライズしない、個人をさらに分人として分け、様々な価値観のレベルで国を超えて交流する、そうした未来を提案することであるように思う。

そのために、旅を続け、旅を伝え、お金を貯めて、また旅をする。

でもこのサイクルもあと5回できれば良い方じゃないか。

時間が限られている。

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