【帰国】一年の世界一周を終えて 一年後の自分へ 日本、日常で心がけたいこと

世界一周

こんにちわ

またびのまさるです。

もう帰国しています。

そして今日から旅をする前と同じ職場で働き始めます。

新しい年度、新しい元号の前に

僕が旅を終わる際に、考えていたことをここに書いておきたいと思います。

日本に帰ってまず感じたこと

帰国した時は、日本最高!日本のここが嫌だ!そのどちらでもなく

びっくりするくらい何も感じなかった。

多分それは、善悪や美醜、好悪を判断するものではなく、僕にとって当たり前のものであるからなのかもしれない。

日常

いつも使っているバスタオルをそれが美しいか判断するまでもなく体にかけるように。

違和感もなく、すんなりとエスカレーターに乗り、バスのチケットを日本語で買う。

帰国して最初に日本を実感したのは

「音」

だった。

深夜に到着してバスを降りた場所に「吉野家」があった。

そこで帰国後の初飯を牛鮭定食にした。

うちわになりそうなくらいの鮭と

ラップのようにかるーく敷き詰めた牛肉を食べる。

白米はやはり美味い。

でも僕が日本を感じたのは白米にではない。

牛丼のかきこむ時に鳴る

箸の音

だった。

チッチッチというような小刻みな音。

深夜の吉野家で牛丼をかっ込んでいる若者とサラリーマンが醸し出す音。

話し声もなく、静かだから余計にチッチッチという音が店内に響く。

あー日本だな。

悪い意味ではなく、この侘しさに僕は日本を感じたのである。

日本に帰ってきて一番初めにしたこと
帰ってきて、妻へ感謝をしたことが一番初めにしたこと。
そのあとに、自分の部屋に入って愕然とした。
なんじゃこりゃ!
綺麗に掃除はされている。
でも何がどこにあるのかさっぱりわからない自分の部屋。
タンスいっぱいの服、棚を陣取るファイル、何のために買ったのか分からない品物。
頭がクラクラした。
この一年間、バックパックとサブバックに入るだけの荷物で過ごしてきた。
バックのどこに何があるのかを完全に把握している生活だった。
それがいきなり、過去の自分の部屋に来ると、何があるのか半分も理解できていない有様だ。
それが気持ち悪くて仕方がない。
こんなんじゃ生活できない。
深夜だけれども、気が触れたように断捨離を始めた。
大掃除。
これが日本で初めに僕がしたことだ。
まさかね。休む間も無く、掃除をしだすとは。想像していなかった。
だってバックパックに入った荷物を入れる場所がないんだもんな。
日本に帰って楽しみにしていたこと
楽しみにしていたことは
ズボリ
「体重測定」
一年旅をして、肥満だった僕が一体どれくらい痩せたのか。
それはそれは楽しみにしていた。
行く前にちょうどよかったトレッキングパンツもブカブカになり、ショーウィンドウに映る自分の姿にも成果を実感していたから結果が楽しみで仕方がなかった。
結果
マイナス10.4kgを達成!!!
酒も飲み、肉も食べ、それでも10kg減量に成功。
しかもリバウンドしにくい。
1年の放浪旅ダイエットを流行らせたい。
日本に帰って意識したいこと 一年後の自分へ

旅をしている時に、帰国しても意識して続けたいことをメモに書いた

◆背筋を伸ばして立つ アフリカで知る

アフリカで感じた

立つ姿勢の美しさ
気高くありたい。格好つけたっていいじゃないか!

◆自然との調和 パタゴニアで知る
人との調和は程々に
テントやキャンプを通じて、自然の中でどう生きるかって事をもっとトライしたい。
人類は民主主義の歴史よりいかに自然と付き合うかの歴史の方が長い

◆できることを増やす ブルガリアで知る
旅で外国で必要なのは
何ができるかだ
ブルガリアの共産党ホールを見たあと、みんなでキャンプ場で夕食を食べたのだけど、ルカは料理をし、エリオットとオーリアは楽器を奏でた。
その時僕は
枯れ木を集めて、焚き火をおこした。
出来ることが人を助けるし喜ばせる。
バイクに乗れるようになりたい
アフリカンダンスを踊りたい
巻きずしを学びたい

◆対話ということ ギリシャで知る
人にわかってもらおうとしなくてのいいし、わからなくてもいい。
結局話した所で距離が縮まなくてもいい。
しかし相手の意見を聞きそして私の意見を話す。
そのことにもう少し力を入れたい。

◆なるべく怒鳴ることを辞めたい インドネシアで知る。
大声で怒鳴る、怒るということをインドネシアではあまり見ない。

クラクションすらあまり鳴らさない。
対立や争いを避ける工夫
僕は児童養護施設で働きだして、怒鳴ることも必要だと思っていたし、怒ることも必要だと思っていた。
でもそれは相手を侮辱しさらに威圧しているに過ぎないと気づく。
声の大きさに頼らず、注意し、諭すことに挑戦したい

◆豊かさとは ルーマニアで知る。
生産手段を持っていること。
お金の多さではない。
パタゴニアのトレッキングでお金はちっとも使えない。
必要なのは前に進む体力と天候に応じて体温調節や休憩をする能力
どこのレストランが美味しいかなんて言う能力は一番無駄のような気がする。

諦めるな 無駄な事は何一つない パレスチナで知る
イエスが悪魔の誘惑を退けたに行った時、目の前で門が閉まる。
次の日に再び行くと、昨日門を閉めた教会の人が話しかけてくれた。
誰もいない教会で静かな祈りの声の中でゆっくり座禅を組み、瞑想をした。
エルサレムでは、金曜日の15時すぎに全ての公共交通機関が止まるシャバット。

タクシーで向かおうとするも法外な値段を請求されるから、断り、歩いてバスターミナルに向かう。

16時過ぎのテルアビブ行きのバスに乗れる

諦めたら僕は教会で神父との出会いはなかった。

そして諦めたらバスに乗れなかった。

諦めないことをパレスチナとイスラエルで学んだ。

それはパレスチナの人々が諦めずにイスラエルに対して抗議をしているように。

諦めない。

人間の一歩の偉大さ ジョージョアで知る
トレッキングに興味はなかった。なんで欧米旅行者はこぞってトレッキングするのかわからなかった。

実際に自分で歩いてみる。

2時間歩き、自分が来た道を振り返る。

なんと遠くまで移動できるのだろう?

小さな一歩一歩の積み重ねの偉大さ。

人間は平地も、谷間も山道も一歩一歩積み重ねることで乗り越えることができる。

お茶の時間を大切に イランで知る

イランでは夕方に家族でお茶を飲む時間をとても大切にしている。

家族の時間、大切な人と過ごす時間を一日のうちで作る。
お茶が最適だ。
そして一日の無事を祝い、明日への勇気を貰う

写真は格好つけてとる中国で学ぶ
観光地に行くと中国人はものすごいモデル立ちをして、サングラスをかけ、赤いドレスなんか着ちゃっている。
それを僕は最初笑っていたけれど
でも
あれいつからだろう?
自分がふざけた写真を撮るようになったのは。
どうして記念にふざけた写真を撮らないといけないのだろう。
僕はこれから写真や格好良く写りたい。自分への限りないご褒美だ

差別は絶対に1ミリも許さない アウシュヴィッツ、ルワンダ、チンチャンチョンと言われたすべての国で知る
差別が虐殺を生む。
アウシュヴィッツもルワンダも根底には差別がある。
そしてアジア人としてチンチャンチョンと言われることへの憤り。
生まれや人種で馬鹿にされることの理不尽さを知る。
そして憲法で一番重要な14条法の下の平等がこの6年間一番虐げられてきたように思う。
日本に帰ってこの軽視された法の下の平等を守るために口うるさいと思われても言う。

差別している奴に差別すんなと。

◆最後に祈り 全ての祈りを捧げている人々のいる国で知る

五体投地する人

アザーンを上げる人

賛美歌を歌う人

煙をたく人

手をあわせる人

マニ車を回す人

この世界にはたくさんの祈りがある。

そして祈ること、祈る人、一人ひとりが尊いと知る。

お金があろうがなかろうが

技術があろうがなかろうが

仕事があろうがなからろが

子供がいようがいまいが

結婚しようがしまいが

病気であろうがなかろうが

全ての人は祈りにおいて

それぞれが尊く、存在として肯定されるのだと思う。

世界を社会を良くするための実践や行動ももちろんだが

シンプルに目をつむり、祈る

これだけもで世界はその分だけ良くなるように思う。

多分、これから僕はまた働き出し

日課やタスクに追われ

いつの間にが旅をしていたことが

思い出に変わってしまうのだと思う。

でもその前に

こうして自己満ではあるけれど、過去の現在との分岐点にいる自分が

こうであるということを記しておきたかった。

苗札のように。

僕は旅をして、こういう種を蒔いたつもりで、忘れずに芽が出るように生きていきたい。

さあ、仕事に行く時間。

写真は後から追加していきます。

またび

ブログはまだまだ続けますので、よろしくお願いいたします。

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