ところで。「またび」って何?

世界一周

ブナ・ジウワ(ルーマニア語でこんにちわ)

リアルはルーマニアです。

意外とバスの本数が少なくて色々調べる時間が取られてブログがアップできませんでした。

別に精神的に、肉体的に不調はきたしていないのでご安心ください。

で今回は、今更ながら、哲学的な問いをしたいと思います。

哲学的というか屁理屈学的になるかもしれません。

旅情報は一切ありませんので、飛ばしてもらって大丈夫です。

ただ、旅をしているこの時点での僕の思っていることを書き記しておくということに意味があると感じています。

すんません。

これは哲学的ではなくて

独断的になってしまうかもしれやせん。

やってみます。

またびって何?またびって何をしているの?

またびって何?

Google区検索をすると二つ意味が出てくる。

一つは「股火」

火鉢・行火 (あんか) などにまたがるようにしてあたること。

時代を感じます。

まさかの永井荷風先生や宮本百合子先生?(知らんかった。でも意外と面白いかも)もこの股火を引用している。

「狭い通路の壁際で股火をしながら居睡をしているので」(永井荷風「草紅葉」)

すごいですね。またびしながら居眠りなんてできるんですか?

火傷した時のリスクが凄すぎ。

もちろん

この意味ではありません。

次に「真旅」。

真の旅と書いてまたび。

意味は長期にわたる旅。

万葉集に登場するようです。

万葉集4388まさにこの意味かと思うでしょうが、これはこれで偶然の一致です。

旅とへど 真旅(またび)になりぬ 家の妹が 着せし衣に 垢付きにかり

(意味は、なんか旅に出るなんて言って、ずいぶん長旅になっちまったな。お袋が出がけに着せてくれたこの着物も、もう垢まみれになっちまったという感じらしいです)

天平勝宝7年2月16日,作者:占部虫麻呂

すごいね。755年にもうまたびが存在している。

鑑真が苦労の末、来日した次の年らしいです。

それがまたび。

いや違います。

またびの真の意味は

「まさるのたび」

それだけです。

理由付けなんか後から色々付いてくる様がお分かりいただけたと思う。

またびって何をしているの?って考える。

またびって何をしているの?

旅をしている。

それを言っちゃあおしめえだ。

でもね。

ちょっとうまく表現できないけれど

またびとは実は

「しないことをしているんだ」

と僕は言いたい。

何かをしているという感覚はあまりない。

まず何かをしないという中で、何をしようかと決めている。

禅問答のようで意味不明に思えるでしょう。うまくいくかわかりもわかりませんが説明したいと思います。

きっかけは友人からの言葉

僕が世界一周の旅をしている事はSNSを通じて友人も知っている。

その中で「行動力が凄いね」「刺激を受ける」「俺も今のままじゃダメだな」「なんかしないとな」っていう意見が割と多い。

そんな時僕は「人には出来ないことやってやる!」「冒険こそ人生だ!みんなの日常に刺激を与えたる!」

何て事は実は

ちっとも思っていない。

それ以上になんかそうした褒め言葉に自分が相応しくないようにすら思える。

この違和感は何なんだって考える。

またびは何かをしているようで実は何もしていないのであーるの巻

日本にいる友人が「おれもなんかやらなきゃな」っていうのを聞くと今の僕はたぶんこう答えるだろう。

ちょっと待ってよ。

みんなすげぇ色々やってんじゃん!

5日以上働いて、子育てをして、家庭を持って、また地域や学校での役割もあるでしょう。自分やパートナーの親との付き合いもあるだろう。

書き切れないくらいまだまだいっぱいあると思う。

その上で「まだやらなきゃ!」って

無茶だと思う。

身体もこころも悲鳴をあげると思う。

僕から見るとみんな

すごいいっぱいやっているんだよ。

自分をねぎらってやってもいい位だよ。

本当にみんなすごくよくやっているんだよ。

自信を持って欲しい。

だってまたびはこれらのことを一切やっていないから。

そうなんだよ。

またびは旅をしているようで、実は

何かをしないということからスタートしている

まずは仕事をしないという選択

僕がなぜ1年間の旅をしているかというと、

仕事をしないという生活を1年間してみたいというのが第一義にある。

アフリカに行きたいとかは実は二義的なもので、アフリカに行きたいのであれば3ヶ月でもいいわけだ。また世界一周が目的であるならば、別に1年かける必要もない。

「またびは学生9年間もやってんだから十分じゃん?」

っていう耳の痛い意見もあるかもしれない。

でも学生にも試験や課題がある。

日課、課題や期限そうしたものから一旦距離を置くことをしたい。

だから旅を選んだ。

僕は、大学で法律を学んで?映画学校にも行った。映画の現場で働いて、その後高齢者福祉、児童福祉と仕事を変えてきた。

ブレまくりの人生です。

そんなまたびですが、やはり仕事をしていると、生活の中の半分以上は仕事に費やすことになる。それはみんな同じだと思う。

そして休みの時でも、仕事前でも「アレをいつまでにはやらないとな」ってことが脳内を衛星のように自転している。

それはどの仕事でも変わらない。

仕事とは課題を期日までに仕上げることによってその報酬を得るということに集約される。

そしてそれができなかった時に然るべき、責任や叱責を負うという面も忘れてはいけない。

だから仕事をしている時は常に不安に晒される。

遅刻や失敗の夢で夜中目が醒めることも一度はあるはずだ。

つまりいくら休みがあろうとも仕事に就いている以上、その不安からは逃れられない。

僕はもう40を過ぎた。

ユングの言う人生の正午を過ぎた頃だ。

僕の人生の午前中は仕事や課題に追われてさらに尚且つ自分が好きなこと、自己実現の望みを抱いていた。そしてそれができないことを自分の怠惰、能力の無さと常に反省していた。

やっぱダメだなと。

でもまたびをしてから自信を持っていえる。

いややり過ぎだったって!

そんな色々出来ないって。

十分良くやってるよって。

それもやはり仕事をしないという選択をして見えてきたことだ。

僕が旅のブログで知った一本の動画がある。

こういう入る方はなんか宗教の勧誘っぽくていやなのだが。是非見て欲しい。

https://www.dailymotion.com/video/x3hu6xt

2015年のFNSドキュメンタリー大賞作品 鹿児島テレビ制作(45分)

テンダーこと小崎さんは自給自足し電力水道燃料も自給している。

もう一つ彼のブログがあって

空気なんて読むな!ミレニアム世代のためのヒッピー入門編
わたくしテンダー、長いことヒッピーをしておりますが、20代の方とお話すると、ヒッピーを知らないこともしばしば。歴史上のヒッピーの起こりと、現代ヒッピーの在り方について解説しますよ。

彼が言う

「義務を放棄し、責任によって選びなおす」

という部分が僕には腑に落ちた。

そして、僕はそれを

「持たないってものの中から、本当に必要なものが見えてくる」

という実感へと結びつく。

この視点は普遍性を持つと思う。

ありとあらゆる義務が今、僕たちの身の回りには課されている。

仕事、納税、子育て、介護。

その義務を一旦放棄した中で見えてきたものがある

見えてきたもの

① 家族や大切な人と過ごすお茶の時間 

これが大切。

イランでは夕方になると家族で広場などで絨毯を広げお茶とパンを広げ家族や友人と時間を過ごす。

日の終わり、太陽が沈む美しい時間を大切な人や家族と過ごす。

一日が始まり、そして終わっていくことを共に味わい、そして明日また日が昇り、共に過ごせることに感謝する。

人生で何よりも大切な時間だと思う。

② 何が出来るかが大切

スマホが出始めの頃はスマホを持っているという事自体が一つの特権だった。

でも今や世界中どこにいってもスマホはみんな持っている。僕の50ドルの激遅スマホよりみんなもっといいスマホを持っている。

つまりもう

何かを持っているという事が特別ではないのです。

ひと昔前は旅人がカメラを撮る側でした。でも今は旅人もカメラで撮られる側にもなった。カメラですら特別なものじゃなくなったのです。

じゃあお金はどうなの?

お金はもう大分前から実はみんな持っているのだけど、持っていないと感じる。

若しくは持っていたいと感じる気持ちがその実感をなくしているように思う。

何より多くの不要なものにお金がかかり過ぎているのが現状です。

本当は家だって一代で建てるもんじゃない。

何代もかけて建てるものだと思う。

車だって、本当は長く乗り継げるものであるように思う。

でもお金持ちは特別でしょう。お金持ちはお金をたくさん持っているから特別だと思うかもしれません。

確かに

お金があればその分選択の幅は増えできる事も飛躍的に増えます。

でもそれは、高額とされるサービスを受けているだけに過ぎません。新宿から銀座までの移動にリムジンを使おうがヘリコプターを使おうが馬車を使おうが歩いていこうが移動という意味では同じです。

逆にお金を沢山使うという事はその分沢山の人の労力を奪う事なのかも知れません。歩くのは自分の体力だけ。車には製造過程輸送過程販売過程に人手がかかりまたその燃料も同じサイクルを辿ります。

ちょっと大分前置きが長くなってしまいましたが、

この持っていることが特別ではないことを説明するのは少し時間が必要だと思ったからです。

みんながもうすでに持っているという世の中で何が重要になってくるかというと、それが

何ができるのか?

ってことのように思う。

持っている道具を使って、何を作り出し、何を表現するか。

つまりアートということになるのだけど。

人の手で作り出したものという意味でのアートです。

料理も、掃除もアイロンがけ、草刈りもアートです。

そしてこのできることがとても旅の助けになっている。

特に料理は本当に助かる。

世界のどこに行こうが自分が食べたいものを食べたい味に仕上げることができるのはとても幸せなことです。

また、料理を作る工程が、日常を取り戻すいい時間になる。

そしてまたびというブログを始めたことも、すごくいい時間になっている。

多分、僕の旅に限らず、旅は一人で完結しても何も楽しくはない。

その旅から派生するまた新たな旅や旅人を木の根が広がるようにつないでいくことが大切であるとしばし思う。

またびという超ミニメディアが見てきた世界の超極一部を伝えることにも砂つぶ並みの意味があると思っている。

多くのニュースや言説、意見が大きいもの、強きもの、多くを持つものからの発信に偏っているように思う。いかにこの小さな事柄を伝えていき、また自分の目で見ることを多くの人に広げていけたらいいと思う。

僕は仕事が嫌いだと言っている訳ではない。

旅を終えたら仕事も戻る。そしてこの旅を話を伝えたいというモチベーションにもなっている。また旅から帰ってきたそのままの姿を見せることで感じてもらいたい。何より一番は子どもたちに、いろんな生き方があることを知ってもらいたい。

ただそれをするには、やはり一度離れないといけなかった。

僕は妻の理解もあり、それが可能だった。

でもそれができない人に、やった方がいいなんて無責任には勧めない。

ただまたびが感じたことを通して、もしかしたら、日常の中の何か一つを見直すきっかけになってくれればいい。それが一人でもいれば、十分だ。

「やらなきゃいけない」ことをほんの1時間でもいい。

放っておいて、自分がやれること、できることだけに少し時間を使って欲しい。

自分に時間を使ってあげて欲しい。

資格なんてもっての他、それは仕事の一部です。

人生の午後を、僕はどう迎えようかとまだまだ悩んでいる。

ただ一つだけ言えるのは、

少しでも、社会が良くなるために

何かをして、何かを作って、それを伝えたい。

伝える大きさは問題じゃない。

500点をたった1つ作る人でありたい。気鋭の写真家・奥山由之は「過呼吸」な時代に反抗する
「本当に作りたくて作りたくてしょうがない、渾身の一発を出してますか?」
奥山由之を魅了する、写真が持つ「見せすぎない色気」とは #30UNDER30
奥山由之。20歳にして、自身初となる写真集『Girl』で、写真界の登竜門『写真新世紀』の優秀賞を受賞。いまの日本のクリエイティブシーンを牽引している、27歳の若き写真家・映像作家だ。デビュー以来、数々の写真集や写真展で作品を発表し続け、20

写真家の奥山由之さんのインタビューで面白いことを言っていた。

「僕は、”伝える”というのベクトルの始点と終点にいる人が少なければ少ないほど、純度が高く、強くなりやすい、と思っています。「自分のこの気持ちをあの人に伝えたい」という強く、そして個人的なベクトルこそが、結果的に多くの人の心に残るのだと思っています。」

僕は僕の伝え方を模索していく。

そんな人生の午後を過ごしていきたい。

ちょっとまとまっていないな。

また今度は、「見つめる」ということについていずれ書きたいと思う。

すみません。

最後まで読んでいただいた方には、またびの最新の失敗談をおしらせします。

ルーマニアでバスの移動中に急にお腹が痛くなって、バスの運転手に「トイレがしたいから」ってお願いし止めてもらいました。刈り入れの終えた畑に積まれた藁の影で、野糞をする羽目になりました。まさかのまたびのトイレ待ち。「ソーリー。ソーリー」と言ってバスに戻ると乗客のみんなは少し笑ってくれたから良かった。でもその間、僕の座席はカップルに横取りされていた。それでも勇気を出して、お願いして良かった。もうちょっと遅れていたら、変な市街地に入ってきたらもっと悲劇が起きていた。

失敗談でした。でもこのウンチ問題は必ず旅行中に起きる出来事です。みなさん移動前の乳製品は控えましょう。

それでは

またび

 

 

コメント

  1. 増澤 富由子 より:

    お元気そうですね、なによりです。
    日本に戻ったらまた是非お出かけくださいね。