ご無沙汰しました。
またびのまさるです。
仕事に復帰し1か月が過ぎ、疲れが抜けにくくなりました。そして脂肪が2kg増えてきました。
昨日、親戚の一周忌に新潟に行き、喪失ということを改めて感じました。
旅をしている時の気持ち『何でもやれる、やってみよう』という前向きな気持ちを、今は少しうわっついていたのかもしれないと離れた位置から眺めている。
人生の真剣さに向き合いながらも、僕は旅の時の伸びやかな感性や体の軽さを忘れたくはない。
争うべくブログを書こうとするけれども、だいぶ筆やテンションが重い。
100記事までは頑張ります。
今回は中部パタゴニアのことを書こうと思います。
観光としてではなく、ここの気候、風土、食べ物がとても気に入りました。
コジャイケではここに住めると思ったし、ラフンタという小さな村では大好きな景色の一部となって自分が生活するという幸わせを感じました。
多くは通過してしまうだろう中部パタゴニアを紹介します。
中部パタゴニアってどこ?見どころは?
パタゴニア観光のメインは、北部のバリローチェや南部のパイネやフィッツロイがメインです。
中部はどうして長距離バスで通過するという人が多いと思います。
有名な観光地というと
マーブルカテドラルと世界遺産;手の洞窟Cueva de las Manos(クエバデラスマノス)の二つがメインだと思います。
マーブルカテドラルは
手の洞窟Cueva de las Manos(クエバデラスマノス)
そのどちらも行きませんでしたが
ではどこに行ったのかと申しますと
フィッツロイのあるエルチャルテンからトスアンティグオスで一度下車。そこでチリチコ行きに乗り換えて、そこから北部を目指しました。
中部パタゴニアの注意点 バスが少ない!隔日でバスが運行!土日に注意!
僕が上の地図でマーブルカテドラルに行かなかったのも、チリチコで土日にバスがなかった為。
チリチコでさすがに三日も過ごす気にはなれず、毎日運行しているフェリーで一気に北上した次第。
ただこのアウストラル街道沿いはとても景色が綺麗で有名なところなので、バスの日程さえ合えば、通りたかったのは山々だ。
チリチコ→マーブルカテドラルのあるプエルト・トランキーロへのバスは月・金13:00のみ
ここが一番バスの本数が少ないです。アウストラル街道沿いはもう少しバスの本数が多い
フェリーの時間も貼っておきますね。毎日あり、値段も2300チリペソなのでまあ安いです
チリチコではキャンプ場Kon Aikenに2泊。一泊5000チリペソでWi-fiあり。レンタサイクルもあるます。
僕が次に向かったのは旅行者が口々に言う「セロカスティージョ」
人生初めての登山断念!セロカステージョ 風が暴力だって初めて知る
チリチコからフェリーで向かったプエルトイバネスからは、コジャイケ行きのバスしかありません。そのため、セロカスティージョに行きたい僕は運転手に話して途中で降ろしてもらい、そこから9km歩く。
チャリダー憧れのアウストラル街道を歩く。自転車はコジャイケでレンタルして廻ることもできる。
セロカステージョは有名な山のようで僕が見えたのは
お城のように見える山。山に登ると青い湖越しの城のような峰が見えるという。
この街はMaps.meにキャンプ場がたくさん載っているが、営業していなかったり、人がいなかったりで結局Hostelも兼ねているSenderos patagoniaで宿泊。テントは一泊5000チリペソ。
翌日にセロカスティージョへの登山を試みる。ミラドール(展望台)までは6kmちょい。全然余裕の道のりである。
料金所に着くと、天候が曇りで穏やかにもかかわらず
「今日は頂上の天候が悪いからクローズドだ」と言われる。
この街に来て、登山ができないのではやることが全くないので、どうにかならないかと聞くと、ここから6km行った先に別の入り口があり、そこなら大丈夫だと言われる。
山登りではなく、別の入り口に行くためだけの6kmウォークは苦痛。
入り口に着くと、入山料の10000チリペソを払い、入山。登山を開始する。2時間ほどで下の写真の場所に着く。この前山を超えるともう展望台。あと1時間程度の道のりだ
振り返ると見晴らしいがいい
フォトショップでいじるともう絵になるんですね。今更気づくが
しかし、ここから料金所で言われた「風が強い」の意味がわかる。
嘘みたいに風が変わる。横殴りの風が常に吹き荒れ、地面に腰を下ろしていないと、木の葉が舞い散るように体が斜面に転がってしまう。
他の登山者もどんどん諦めて下山していく。彼らはみんなガイドを付けていて、一人で登っているのは僕だけだった。ガイドも「あと1時間で展望台には着くけれど、危険だから一人では行動しないように」と言われる。
それでも1時間ならとゆっくり風が収まる瞬間に動きながら、匍匐前進のように進む。
地面に座り込み、強風の中よく見てみると、石はいくら強風の中でも飛ばされていないことに気づく。飛ばされているのは我々人間だけだ。重心を動かさずに、地に在る限り、強風でも微動だにしないのである。
しかし進まないわけにはいかない。このまま山で夜を明かすことはできない。
1時間経つとたった500mしか進んでいないことがわかった。風に雪が混じり出した。
登山断念を決意する。山登りはそんなに経験していないものの、登頂を諦めたのは人生で初めてであった。その初めてがここパタゴニアのセロカスティージョであったことはこの先も残るだろう。
そしてこの決断が後々人生にとって良いものになるように祈りながら下山する。
但し、成果も達成感もなく、来た道を10km以上戻るのは辛い。
辛さへの償いとして街のレストランで2人前のご飯を注文した。
チリの名物料理というかレストランに必ずあるメニュー
「Chorrillana(チョリジャーナ)」
作り方の動画も貼っておきます。
そうかポテトはオーブンでも作れるのね!
セロカスティージョからコジャイケへ ご飯が美味しいコジャイケ
パタゴニアをバスや自転車で通過する旅人はコジャイケは必ず通過する交通の要所。
セロカスティージョからバスは毎日出ているけれど、始発ではなく、途中下車のため、席が空いていないと乗れない。とにかく朝10時からバスを待つのみ。どうにか乗れましたが。
見所は少ないけれど、とても住みたくなるような丁度いい田舎で丁度いい街。
鮭の養殖で日本人がよく来ていたのか寿司屋もある。「KO SUSHI」
店内 二階もある クリームチーズにサーモンそしてクルミに蜂蜜ソースが
もうこれはこれで横文字の「SUSHI」
海外ではもうSUSHIはケバブと同じくらい一般的。ヨーロッパじゃスーパに寿司の持ち帰りコーナーがある。
海外は割と酢飯を敬遠する。その代わりに酸味として重宝するのが「クリームチーズ」だ。
侮ることなかれ。これはこれでものすごく合う。子供の頃、ご飯にチーズをのせて食べたことはなかったかい?つまりチーズとご飯は合う。そしてクリームチーズの酸味に、基本は巻き寿司もしくは押し寿しというスタイルが横文字の「SUSHI」なのだ。
寿司は握りじゃなきゃ!言っているだけではもう乗り遅れていると思う。本場の日本人の寿司だからこそ、このクリームチーズや巻き寿司がメインの横文字のSUSHIでも輝いて欲しい。
もう寿司が一つの芸術的なお皿、料理になっている。
消防署に併設されているレストラン「Casino de Bombers」もおすすめだ
バスターミナルの隣にあるレストラン「Litos」も美味しかった。
セビーチェ レモン風味の魚のマリネ ワインがすすむくん 隣がバスターミナルなので便利
コジャイケでの宿は「El Camping」Wi-fiもあるし、ガスボンベもただで貸してくれる。近くに無料のキャンプ場もあるけれど、そこはセキュリティーがないに等しいから一人ではやめた方がいい。Maps.meで全て出てくるので検索してみてください。
コジャイケには滝などツアーもあるが、僕はツアーで観光に行く気はもう起きなかった。
帰国もあと2週間となり、何かをお金を払ってやるということに意味を見出せなかった。
コジャイケの街から見える特徴のある山に登ってみようと気軽に出かけた。
コジャイケ セロ・マッケイに登る 一人と二匹
コジャイケの街のどこからでも見える山
それがこのセロ・マッケイ
パタゴニアに来てやることはシンプルだ。とにかく山があったら登る。そしてテントで寝る。これだけ十分楽しいのがパタゴニア。
このセロ・マッケイもMaps.meにルートが載っているし気楽な気持ちで登山に出かける。この気軽さとは裏腹に予想外なことが続く登山となる。
① 一人旅のはずが一人と二匹旅に
海外あるあるではあるが、山に登ると犬が一緒についてくることがある。道の先導をしてくれることもある。しかしここコジャイケではなんと犬が二匹ついてきた!
どこの家の犬かは知らない。ただただ鼻を鳴らしてついてくる。
クロが道を先導してくれるが老犬ですぐに息が切れ、早速二回もウンチをしている。茶色は右の後ろ足が不自由でビッコをひいている。この二匹はすこぶるあてにならない。
クロは自分勝手にどんどん道を進む。近所の犬がいるとわざと近づいて、小便をする。散歩している姿を見せつけているのか、根性が悪いと思う。
チャイコフスキーは忠犬だ。必ず僕の後ろに付き、一定の距離を離れず付いてくる。この二匹は昔飼い主と一緒に毎日山へ登っていたのかと想像する。でも飼い主も歳をとり、散歩に行けなくなり、彼らの散歩相手は旅行者の僕という構図か。
クロの先導で進むの早速関門が
②地図に出ている道が閉鎖されている!
山道に入る前で早速登山道が柵で閉じられている。クロはお構いなしに進むので、僕も迷わず入る。でもなぜ柵があったのか後々分かることになるのだが
③道が無くなる!?
クロの先導である程度は進むが、クロは道がわからなくなるや否や、座ってしまう。そして先導を僕に委ねる。いい加減な奴だ。仕方ないからこっちはMaps.meでどうにかたどるがGPSが正確ではない。草をかき分け、イバラを踏み分け、ズボンは訳のわからない種子だらけ。
それでもついてくる犬たちに申し訳なく思った。クロなんか途中でへたり込んで全然動かなくなった。
どうにか崖を登ると頂上への道が開けてくると予感される場所にたどり着く。先に行き、道があるか調べようとするとチャイコフスキーが悲しげな声で「クゥーン。クゥーン」と鳴く。もうこれ以上は進めいないと言っているのだと思った。ここで待っていろと言おうと思ったが、足が不自由なチャイコフスキーはものすごい寂しがるだろう。彼を置いていく訳にはいかない。
下山を決意する。
④まさかの二回連続の登頂断念 in パタゴニア。情けない。
でも一つ言えるのはここは登山する場所じゃないってこと。もともと入っちゃいけない場所だったんだ。
⑤別れは突然に
3時間以上も知らない犬と登山をした。当然僕の中では友情が芽生えていた。苦労を分かち合った同志だ。このまま街までついてきたらどうしようとまで思っていた。
しかしだ。
これが現実 振り返りすらしない
お昼ご飯のおにぎりも分けてやったのにな。。。
⑥きわめつけは、次の日のバスが、乗客が集まらずに運休に
次の日にChaitenまでのバスを予約していた。朝バス停で待っているとバス会社の人が運休を告げ、返金をした。
さあどうしよう。
コジャイケからのバスの時刻表はたくさん写真を撮ったので載せておきます
運休になったChaiten行きのバス プエルトモント行きのバス 高いですね
chasten行きと書いてあるがLa Junta止まりだった 謎の行き先
ここも謎 これはアウストラル街道を行く便
行くつもりのない街 La Juntaに行く
この日もう一泊同じ街で泊まるのは馬鹿らしいので、できるだけ北に行けるバスに乗る。
15時発のLa Junta行きのバスがあったため、それに乗る。
どこやねんって話だけれど、地図で見ると宿もキャンプ場も無料のキャンプ場もあるから大丈夫だと思う。
着いたのは夜。次のChaitenまでのバスの予約をすると明後日だと言う。
謎の田舎町で二泊とは。。。
夜21時過ぎに着いて宿に泊まるほどお金が勿体無いことはない。パタゴニアは治安は問題ない。フリーのキャンプ場を目指すことに。
川沿いの駐車場にテントを張る。夜誰かに見つからないように少し人目につかない所を選ぶ。先客のテントの若者もいた為少し安心だ。
夜空を見上げると南十字星が見えた。
翌朝、ガウチョの口笛の音で目が覚める
朝霧の中ガウチョと犬が朝から牛を追い、放牧する。
霧が晴れると、このフリーキャンプ場自体が、景色の中にいることに気づく
川の近くでテントを張る
これを二日繰り返す。
まだまだ居られるな。でもバスのチケットを予約していた。
何もすることがない。
美しく、見るべきものの中にテントを張って生活しているんだもの。
これを僕は’幸せ’と呼ぶ。
美しい自然、気に入った自然の中で人は調和して暮らす。
仕事をしている時、日本にいる時は
人と人との調和にばかり時間を割いていたように思う
人は人がいないと生きてはいけない
しかし
人が人に傷つき
人が人に理解されずに
人が人を敬遠し
人が人を愛す一方
人が人に別れを告げる
そんなことばかり考えていたように思う
でも古から続く人類の歴史の中で
こんなにも
人と人のことなんか考えてばかりだったのか?
人との調和ばかりを考え
結局調和、和合、理解し合えない中で絶望を繰り返しているのではないだろうか?
これからの人生の重きを少し自然との調和にシフトしていきたいと思う
自然との調和というベースの中に、人との調和というハーモニーが生まれる
ここを目指したい
それを僕はこのLa Juntaという行くつもりのない街で気づき、空を見上げて声を上げる
「幸せだなぁ」
この感覚、実感を一生忘れずに生きていたい。
La Juntaからchantenには二つのバス会社から
La Juntaの隣のPuyuhuapiも通過したけれど雰囲気が良かった
ここをゆっくりバスで回るのもいい
Puyuhuapiは温泉(Termas)があり、長い入江のとても景色が綺麗な場所でした。ここで泊まり、その後La Juntaに行くも良し。ただパタゴニアの中で気候も寒すぎず、リゾート過ぎず、ゆっくり過ごせる場所は以外とこのエリアだと思います。バリローチェはもう物価も雰囲気もリゾートです。そしてコジャイケより南は風が強く、天気が変わりやすく、朝が寒く、厳しい気候です。
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