エチオピアで40℃ インフルエンザでダウン!海外で病院に行く方法

アフリカ
  • サラーム(エチオピア語でこんにちわ)

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久しぶりの更新になってしまいました。

エチオピアに入国早々にインフルエンザに罹って寝込んでいまいした。

海外での病院への行き方、保険会社への連絡の仕方など、初めてのことだらけでした。

病気になった時の対処法を含めて書きたいと思います。

では

エチオピア観光まとめもあります!

【2019年】エチオピアまとめ 宿、移動情報、観光スポット、民族巡り、モヤレケニア国境越え情報もね
エチオピア情報をまとめます。 計23日間 アジスアベバ(Addis Ababa)→メケレ(Mekele)→ラリベラ(Lalibella)→デシー(Dessie)→アジス→アワサ(Hawassa)→ジンカ(Jinka)→ハナ(Hana)→コンソ(Konso) ケニアへの陸路の国境越え情報も載せました

 

深夜のエジプトカイロの空港 地獄はここから始まっていた!

もともとスーダンへ陸路で行く予定が、スーダンビザが150ドルに爆上げした情報が入ったので、エジプトからアジスアベバに飛行機で行くことにしました。

旅人情報でエジプトからナイロビに空路で行く人が、出国チケットがなかったために、搭乗拒否され、飛行機に乗れなかったという話は聞いていた。

でもまさか、エチオピアも?

そのまさか?が起こったのです。

出発3時間前に、チェクインの列に並ぶ。

様子がおかしい。

とにかく発券に時間がかかるし、なんか追加でお金を払っている人もいる。(これは荷物超過の可能性も)

いざ自分の番になると

「エチオピアからの出国チケットは?」

と聞かれる。

「は?そんなのないけど」

と答えると

「チケットがないと、発券できない」

と言われシャットダウン!

ふざけるな聞いてないよ!とダチョウ倶楽部のネタを深夜の空港でつぶやく。

とにかく急いでネットで航空券を探す。

経験上Expediaは即発券されるが、キャンセルが確かすごく面倒だったように思う。

でTrip.comは発券までに時間がかかるため、キャンセルしやすいのではと踏んで、予約する。

二度目のトライ

「チケット買ったよ」

というと

「チケットナンバーは?」

と聞いてくる。

「ふざけるな。今何時だと思っている。発券までにタイムラグがあるんだ」

というとなんか違う列に並べと言われる。

三度目のトライ

「チケットナンバーがないと発券できない」

無情にも言われる。

さすがに悲しくなり

「どうすればいいんだ。チケットも買ってベストを尽くしたのに」

と言うと

「エチオピアの後どこに行くんだ?」

と聞かれたので、

「カイロだよ」

と答えると、何かの鍵が開いたかのように、隣の男性に話しかける。

するとまあいいかみたいな雰囲気になって、発券して貰える。

2時間経ってようやくチェックインができた。

その後も出国手続きで全員靴を二度も脱がされる。

人権もくそもない空港。エジプトは今軍事政権だからこうなるよなっていう感じ。

怒りのツイートを連発している。

本当に最低な空港だった。

そして飛行機の中は、狭い上に、デブサンド。

両隣が巨漢、そして僕も巨漢。

ビックマックの完成だ。これで5時間。

アジスアベバに到着 安宿のあるピアッサ地区には乗り合いバンで移動
空港でエチオピアテレコムのsimが買えるのでやっておくと便利です。
写真の登録とかをするので、市内で探すのは少し大変かと。
30Bでsimと300MBの容量です。
エチオピアは三大うざい(モロッコ、エジプト、エチオピア)と聞くけれど、意外とあっさりです。乗り合いバンの集まっている場所まで、10分程歩きます。
空港を出てすぐの星印にバンが止まっています。
「ピアッザ」というと教えてくれます。
20Bと言われましたが、友達が10Bだったというと10でしたが、実際は5〜20位ですかね。
20Bでもいいかとも思います。
Wutumaホテルに宿泊。
直接行くと部屋が空いていました。
なんかbooking.comでも出てこないので、直接で大丈夫かと。
近くにBaroホテルもありますしどちらかに入れると思います。
受付のサラが僕が鼻をすすっているのを見て
「風邪ひいた?」
と聞いてきました。
この時に気づくべきでした。
Wutmaホテルは、平日の昼にランチビュッフェをやっています。
ベジタリアンメニューですけれど、野菜果物そしてインジェラも食べられます。110B
おすすめです。
倦怠感からやってくる 熱は遅れてやってきた
到着後、すぐに歩いてETTという旅行会社にダナキルツアーを申し込みに行く。
同じホテルにいた日本人の女性にダナキルツアーは250ドルで行ける。ラリベラの移動も含めて350ドルで行けるはずと聞いて勇んで向かう。
しかし、ダナキルツアーは300ドルだし、ラリベラへは飛行機で75ドル。ラリベラからダナキルの出発地メケレまでは30ドルだと言われる。もう聞いていた話とあまりにも違いすぎて、この日は契約せず。
次の日またETTに歩いて行き、2泊3日のダナキルツアーのみ予約する。そしてSimカードと明日ETTのゲストハウスに泊めてもらうことを約束する。
帰りにTaitu Hotel近くのチケット売り場でメケレまでのAbay Busを買う。520B位だったかな。
宿に帰って、博物館に行こうか悩む。
でも体が動かずそのままベッドに横になる。
体温計で熱を計ると
40℃!
やっちまったな。
とにかく病院に行かないとまずいので、この旅で初めて保険を利用する。
海外旅行保険 またびは有名な金子秀人損害生命保険事務所に入っていた
人生で初めて海外の病院に行きます。
保険にはしっかり入っていたので、手続きに従います。
ちなみに、1年間、世界一周で大体29万円です。
まあ仕方ないですね。
必要経費です。
旅人の中にはクレジットカードを複数持って保険のやりくりをしている人もいます。
三ヶ月以内の旅の人は、クレジットカードの保険で十分です。
でもまたびは厄年なので、健康にはしっかり予算をとりました。
まずは保険の際にもらった手引きを読んで日本に電話をします。
電話の仕方 滞在国の国際電話識別番号(エチオピアは00)-81(日本の国番号)-3-6758-2460
金子事務所は東京海上日動の保険なのでそこのコールセンターにかけます。
手引きを無くしたときでも大丈夫PDFはこちら
日本時間の深夜でも対応してくれるのですね。
お勤めご苦労様です。
発信に関しては通話料がまずこちら持ちなのでドキドキしながらかけます。
すぐに出て対応してくれます。
保険の番号と自分の電話番号を聞かれるので準備しておきましょう!
僕は、自分の電話番号を言う途中に電話が切れてしまった。。。
でもすぐに発信履歴から折り返しがあって、大丈夫でした。
SIMがない時困りますね。海外だと公衆電話は割とテレホンカードが多くて、どこに売っているかもよくわからないことが多いです。
ただ病気の時はホテルに泊まっていると思うので、宿に相談しましょう。仕方ありません。緊急時ですから。
最初の電話では、まず保険会社がエチオピアのアジスアベバで受診できる病院を探してくれます。大きな都市だとキャッシュレス(お金を立て替えずに)で受診ができる病院がありますが、エチオピアではもちろんありません。2時間以内にまた電話をするということで、待ちます。
2時間後に連絡がありました。今度は支局のパリからの電話です。
「病院に電話がつながらないので、明日の午前中にまた電話をします」
との事。
熱はあったけれど、食欲も意識もあったので、受診は明日にします。
病院に行く 交通費も保険に入るので、我慢せずタクシーで行きましょう
朝、熱のせいか、ベッドの脇にあった石鹸をチョコと間違え食べてしまう。
笑えない。口が泡。
結構こういうの痛いです。
どう見ても美味しそうでしょ?
味も意外と薄甘でもうちょっと食べそうでした。
翌日10時に電話があり、
「病院が電話に出ない。でも営業はしているので、予約なしで行ってください」との事。
病院はアジスアベバでは通称コリアンホスピタル(Myungsung Christian Medical Center)。
ここがインターナショナルを受け付けているそうなので向かう。
宿にタクシーを手配してもらう。
交通費は保険の対象なので、領収書をもらってくれとの事。
でもエチオピアじゃありえないから聞くと、手書きのものでもいいそうなので、ドライバーに名前と金額、住所と電話番号を書いてもらう。
Uberとかであれば、領収書もいらないで明細で確認できるそうです。
病院についていよいよ受診をします。
海外の病院はやはりよくわからない 結構疲れます
受付らしきところに行くも、よくわからず、英語が話せる患者さんが助けてくれて、なんか看護師のところに連れて行ってくれました。
そこで病状を説明して、なんか紙を書いてくれて、それから受付に行くように言われます。
受付でいきなりお金を請求されます。
「400Bね(1600円)」
保険の電話で、前回の請求額が15ユーロくらいだったことを聞いていたので割と納得です。
でも受診前にお金をとるって、検査内容も決まってないのに。これはエチオピアルールなのでしょう。
現金は必要ですが、病院にもATMがありました。
そのあと二階のインターナショナルに行けとの事
到着するとあと15分で昼休憩だからと言われ、1時間以上待つことに。
仕方ないけど、世知辛いよな。
病院には食堂も売店もないようなので、椅子でひたすらぐったり座って待つ。
いよいよ診察 先生大丈夫か?助手のエチオピア人が割と優秀
ようやく診察。
先生は韓国の人でエチオピアに来てまだ1か月との事。
最初に血圧と脈拍、身長体重を測る。
血圧が90/60位、脈は120/分。
これは異常。一瞬入院かと思う位。
通常の血圧は114/70。脈は60−70位なのだが。
エチオピア人の看護婦も「ちょっと数値が悪いわね」と言う。
先生の診察では
「インフルエンザではないか」
との事、しかし
「病院にはインフルエンザの薬はない」
何?出たよ!でも仕方ないやな。熱冷ましと眠剤と咳止めシロップを処方してもらう。
処方箋をもらって、薬局に向かう。
注意;診察の時に必ず診断書をもらってください。保険の際に必須です!またびは処方箋が診断書だと思っていました。後でまた先生のところに取りに行くという苦行!
薬を処方してもらう これもまた料金先払い
薬局に行くと、
「お金は払ったの?」
と聞かれる。
そして支払いを先に済ますように言われる。
たった10メートル位の歩行だけれど、病人には相当辛い。
しかもこの日は宿を移動するため、バックパックも持っていた。
料金を払って、薬をもらうとあることに気づく。
うわ、診断書がねぇ。
そしてまた二階へ診察室にバックパックを抱え、苦難の道(ヴィア・ドロローサ)を歩く羽目になる。エレベーターの警備員のおっちゃんが心配そうに「またどうしたんだ?」と聞いてくる。その親切ありがたい。
先生の元に行き、診断書をもらう。
これも英語で伝えないといけないので、病気の際に必要な英語をあげておきます。
高熱-high fever(ハイ・フィーバー)
咳-cough(コフ)
頭痛-headache(ヘッディック)
痰-phlegm(フレム)
下痢-Diarrhea(ダイアリーア)
腹痛-stomachache(ストマックエイク)
診断書-Medical certificate(メディカル・サーティフィケイト)
あとアレルギーと既往症の事は必ず聞かれます。
やはり病気の時は、普段通りではないので、できれば誰かについて行ってもらいましょう。
動くのは辛いし、病院は意外と広いので疲れます。
病院を後にして、ETTに行く。ここからが本当の苦難の道(ヴィアドロローサ)だった。
今日からはETTという旅行会社の無料ゲストハウスに泊めてもらうので、タクシーでまずETTに向かう。
インフルエンザに罹ったことを伝え、ダナキルツアーの出発を3日後にずらしてもらう。
さらに昨日買ったバスチケットの日にちを変更しないといけないので、車でバス会社まで送迎してもらう。
バス会社の前で車は止まらずに、そこから10分程歩く。
バス代金の半額はキャンセル代で取られる。
そこからまた車に歩いて戻る。
この30分が辛かった。
ゲストハウスはホテルよりも快適で、wi-fiも結構早かった。
みんなエチオピアに来て、ダナキルツアーを申し込んだらゲストハウスに泊めて貰った方がいい!
しかもまたびは3日間タダで泊まらせて貰った。
インフルエンザとの戦い スキューバダイビングの講習を思い出す
薬に眠剤が入っていたからか、すぐに眠くなる。
そして夜中に足が寒いように感じる。
でも眠いから動けない。
体が冷え切ってしまいそうだったので、重い体を起こし、寝袋を出す。
そしてまた寝る。
今度は暑すぎて汗を掻く。
着替えをしてまた寝る。
そんなことを繰り返す。
ダハブで取ったスキューバダイビングの練習を思い出す。
ダイビングで重要なのは
トリムを保つこと。
つまり無重力状態と維持するということ。
そうすることで水中で力を使わずに漂っていられる。
魚たちは浮き袋を使ってやるように、人間はBCDという空気を出し入れする浮き袋と肺を使う。
空気を入れすぎると、体は水面に上昇し、空気を抜きすぎると、体が水底に沈んでいく。
インフルエンザの僕の体温はまさに、トリムの取れていないダイバー初心者そのものだった。
寒いと思って布団を着込むと、体温が急上昇して水面に浮かんでしまう。
暑いと思って脱ぐと、体温が急降下して、水底に沈んでしまう。
ああ、体がおかしくなってる。
そして、なんて自分は弱いんだと実感する。
薬を飲んで次の日が一番辛かった。
ゲストハウスのハウスキーパーが毎日ご飯をなぜか作っていたので、頼んで分けて貰った。
もう病気の時は、助けて、こまっていると伝えた方がいい。
まあ一人が一番良くないです。
多分、一人だと病状が悪化して意識がなくなった時、誰も気づかないです。
必ず誰かが気付く環境で体を休めてください。
3日後には熱が下がり、移動ができました。
病気になった時の教訓 やっぱり弱いんですよ。だから一人で病気と闘ってはきつい
①初期症状の段階でまずは休む「風邪じゃない?と言われたらそれはもう風邪」
 またびは二日も無理をして街を歩いてしまいました。サラの忠告に従っていればよかったのです。特にアジスアベバは高地で排気ガスも酷い。風邪にかかりやすい環境です。メキシコシティーに似ている。まずは休むべし。
②早い段階で病院へ行く決断をする「疑わしきは受診せよ!」
 正直、異変を感じた次の日に病院に行くべきでした。疑わしきは受診せよ!なんの為の保険だ?一回も病院に行かなかったからってお金が戻る訳でも、表彰される訳でもない!結果病気が長引くとそれだけ時間をロスすることになる。
③困っている時は人に助けを「病気の時に一人はダメ。助けを求めましょう」
 病院にも本当は付き添ってもらった方がいいです。あと誰でもいいので次の日の朝に無事を確認してくれる人を見つけておきましょう。今回感じたのは部屋で意識を失ったら終わりだなということ。恥も外聞も気にせず、人に頼みましょう。
④病気をして自分の弱さを知るとともに、他者の弱さにも共感できるようになる
 やはり病気になると自分は人間は弱いです。本当に起きて服を着替えるだけでも、決心して動き出すまでに30分以上かかりました。たかだか3日ほどのインフルエンザでしたが、それ以上に長い闘病生活をしている方もたくさんいる訳です。彼らの苦しさ、病気に向き合っている強さを感じました。
極私的なことだけど、書いておきたい
僕がインフルエンザに苦しみ、回復に向かっていた矢先に訃報が飛び込んできました。
大学時代の同期がガンで亡くなりました。
旅行にでる前、去年病気のことを知り、仲間と一緒に会いに行ってきました。
その時にもう余命というか1〜2年だとは言われていました。
会った時の彼女はまだ一緒にご飯を食べ、散歩をし、写真を撮りました。
子供と旦那さんと一緒に僕らを見送ってくれました。
本当にその日が来るんだなと言うことを改めて思いました。
あれから1年。
LINEなどでメッセージがある中で、彼女は辛いや、病気のことは一切口にしませんでした。
辛さ、怖さは僕のインフルエンザの比なんかじゃないと思う。
でも彼女は何も言わなかった。
それを望まなかったのかもしれない。
僕たちの日常、そして彼女の日常それを完全にシンクロさせることを彼女は良しとしなかったのかもしれない。
強いな。
改めて感じました。
僕なんか、苦難の道 (ヴィアドロローサ)だなんて二回も言っている。
でもそこの苦しみや怖さや辛さってやつは多分、彼女が一番信頼している、そして大切な旦那さんには伝えることができていたのかもしれない。
僕に何ができたのかってことは愚問であるように思う。
彼女は彼女の生を生き、その少し前に大学時代の僕たちの老けた顔を確認したかっただけなのかもしれない。それだけで良かったのかもしれない。
その実、彼女の申し出がなければ、僕は他の大学時代の同期と10年経っても会っていなかったかもしれない。
本当にあの時に、会いに行って、そしてみんなと再び会えて心から良かったと今思う。
そのきっかけを作ってくれた彼女に本当に感謝している。
またびは通夜にエチオピアから駆けつけたら格好いいかとも考えたけれど、僕は僕の旅を貫徹するべきだと感じた。
旅を続けます。
僕は僕の祈りを捧げます。
そしてやっぱり、会うべき時に人に会っておこうと思う。
それは日本に帰ってからも同じで、長く会わないでいた(特に意図はないのだけれど)人たちと会って話をしたい。
そう思うようになりました。
またび

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