ジエン・ドープリ(ポーランド語でこんにちわ)
またびのまさるです。
にほんブログ村
書こう書こうと思っていて書けなかったアウシュヴィッツについて書きます。
多分このタイミングになったのも何かの縁なのだと思います。
パレスチナをイスラエルを訪れて、改めてアウシュビッツを思います。
そしてこのアウシュビッツの悲劇と現在進行形のパレスチナの悲劇についての僕の考えを書こうと思います。
ニーズは少ないでしょうが、感じたことを書きます。
アウシュビッツを訪れる前に お役立ち情報
僕も知らなかったのですが
アウシュヴィッツを観光する際には
予約が必要です。
知ってましたか?
一応予約なしで当日朝早くに行って、入れる場合もありますが、クラクフの街から70km離れいて、またそれで入れないとなるとあまりにも痛手なので予約がベストです。
予約はこちらのサイトです。
日にちを例えば12月20日にすると
こういう画面が出てきます。
9:00からのガイドなしの個人旅行が10人分空いています。
これを予約すると無料です。
僕は10月に訪れましたが、二日前だと枠はありませんでした。
一番下にある『GeneralGeneral Tour3.5h」というのが一般的だと思います。
これが曲者で英語がほとんど枠が埋まってしまうのです。
僕の時はフランス語しか空いておらず、分からなくてもいいやと予約しました。
当日現地に行くと、僕の顔を見て、フランス語ツアーから英語のツアーに変えてくれました。
他にも何名かそういう人がいました。
同じ時間の英語のツアーに振り替えてもらいましょう。
イヤホンを渡される時に、「English Please」といえば、英語のイヤホンとシールを渡されると思います。
値段は50ズボティだと思います。
行き方の詳細はこのブログが詳しいです。
アウシュヴィッツで日本語ガイドをしている中谷さんのブログです。
中谷さんのコースはすぐに満席になってしまう人気ツアーです。
ここからは紹介というよりも僕が感じたことを書きます。
アウシュヴィッツの一番の罪は「選別」にある
このアングルの写真がアウシュヴィッツでは有名ですね。
死への片道切符というようなイメージで僕も捉えていたように思います。
でも実際にアウシュヴィッツに来てみると線路が一直線じゃないんですね。
分岐して
または
交差するのです。
僕はこの地に立って、この別れて交差する線路こそがアウシュヴィッツなのではないかと感じました。
というのもまず、この収容所に電車で連れてこられたユダヤ人がまず何をされるのかというと
まず
「Selection(選別)」されるのです。
そこで、労働できる男子、人体検体のための子供や女性は生かされ、それ以外の人々は即ガス室送りになりました。
ガス室送りすなわりExtermination(駆除)されるのです。
つまり、人間が人間を生きる者と死ぬ者にセレクション(選別)しエクスターミネーション(駆除)するのです。
このセレクション(選別)ということがこのアウシュヴィッツの悲劇の根本なのではないかと僕はこの地に立って痛切に感じました。
だから僕は一直線に続く線路よりも、分岐で別れた線路にこのアウシュヴィッツを象徴しているように感じたのです。
そして労働力として生き残った人々も後々はガス室に送られるのです。
一度は選別して逃れた死への線路が再び交差するのです。
このセレクションはユダヤ人だけでは終わらなかった
アウシュヴィッツでの犠牲者は130万人と言われています。
しかし、その全てがユダヤ人だった訳ではありません。
中にはポーランド人、そしてロマの人々もいたのです。
14万人ものポーランド人が犠牲になっているとは知りませんでした。
ロマの人々の23000人も決して少なくないと思います。
ロマの人々自体の全体の母数からすれば多いようにも思います。
ロマの人についてはまたびのルーマニア旅行記を参照してください。
ユダヤ人がいなくなったら、次の矛先はポーランド人になっていたと言われています。
そしてもう14万人も実行されていたのです。
そしてドイツ人以外であれば、どの人々でもよかったのかもしれません。
ユダヤ人には目印に服に星の印(ダビデの星)がつけられました。
70年前に悲劇が行われていた場所に「いる」という感覚
この悲劇が起こったのは、今からまだ70年しか経っていない。
これは戦国時代でも、明治維新の話でもないのです。
僕たちのおじいさんがまだ生きてきた時代に起きたことなのです。
その場所に今こうして立ってみる。
アウシュビッツの入り口は「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書いてあります。Bの文字が天地さかさまになっているのは、自由にはきっとならないだろうという皮肉を込めているのだと言います。
すり減った階段。一体どれくらいの人が階段を登り降りしたのだろう。
この期間でこのすり減り具合に僕は怖さを覚えました。
もしくは軍靴の底が硬いからすり減るのが早かったのかもしれません。
トイレは酷いですね。人権意識のかけらもありません。ニーハオトイレだって低いけれど少し目隠しはあります。
野ざらしの隣接という最低なトイレ。
10号棟と11号棟の間にある死の壁
ここで処刑が行われたそうです。
そしてこれがガス室
ここで大量に一気に人がエクスターミネーション(駆除)されたのです。
酷い言葉です。
大切な命が一気に奪われたのです。
使われたガス缶
そして亡くなった方の眼鏡の山
旅行仲間が感想で言っていました。
「なんかもっとホラーな所かと思いました。でも意外と普通なんですねよ。建物とか。それが逆に怖いです」
僕も同感です。
日の当たらない廃墟、血に塗られた壁、拷問道具がここにはあるわけではありません。
レンガ造りの建物がそれこそ団地のように立っているのです。
ナチスの人たちは、特別に冷酷な魂を持った人たちでは多分ないのです。
そして、カルトに染まっているわけでもないのです。
これが仕事だったのです。
そして人間が仕事と称して、人の命を奪うことなど可能なのでしょうか?
その鍵を握るのが僕は、
「セレクション(選別)」
だと思いました。
ユダヤ人を
「自分とは違う人間」「有害である人間」そして「劣っている人間」であるとしてセレクションするのです。
「自分とは違う人間」とすることで、彼らにどんな悲劇が起ころうとも、自分には関係がないと考えることができる。→当事者意識の欠如
「有害である人間」とすることで、自分たちの安心・安全のためなら、有害である人間を排除していい。→暴力や弾圧を正当防衛として理解する
「劣っている人間」とすることで、排除し、駆除することが相当であると考える。→殺人の肯定
こうした心の中でのセレクション(選別)が行われることで、ナチスの人々は、任務を仕事としてこういた大虐殺を行うことができたように思います。
セレクションをすることで、除外された者はエクスターミネーション(駆除)するというシステムなのです。
このシステムの中で、ナチスの人々は働いていたのです。
人類学者のエマニュエル・トッドは面白いことを言っていて、家族のあり方がその国や社会の性格を表している。
そして日本とドイツはともに直系家族型社会であり、父親に権威があり、親子、兄弟関係では不平等であると言う。直系家族型社会の特徴として、権威、ルールに従順であることが挙げられます。
つまりよりルールやシステムに対して従順な人々であるのです。
心が無かった訳ではありません。
システムやルールとして理解し、実行していたのです。
このガス室の近くに将校の家があって、そこで遊ぶ子供たちが、ガス室から上がる遺体を焼いた煙の下で遊んでいたと言います。
これが日常だとした時に、人は良心の呵責なく、大虐殺というシステムを実行するのです。
たった70年前の話なんだよ そして現在もセレクションは至る所で続いている
この悲劇がたった70年前の話。
そして現在もセレクションは至る所にあります。
もちろん日本でも。
沖縄の基地負担を考えて欲しい。
沖縄が70%以上の米軍基地を抱えている中でさらに辺野古の工事を民意を無視して進めています。
沖縄で反対している人々を僕たちは
「沖縄のことだから」「基地を反対している人は一部だから」
そうセレクションしてやいないか。
同じ日本人なのに沖縄だから関係ないと思ってやいないか。
生活保護叩きについても同じ。
彼らを
「生活保護をもらっている人だから」「努力が足りない劣った人だから」などと
セレクションしてやいないか。
そして植松被告の障害者大量殺人事件は起きました。
あれはまさにセレクションの行き着く先なんだと思います。
彼は言ったね。
「世界には理性と良心とを授けられてない人間がいる」「障がい者は人の心を失っている」
セレクションの典型だと思います。
そして植松被告はエクスターミネイションを実行したのです。
驚くのは彼は自分の殺人の決意を自民党の議員に手紙で届け、認められようとしていたということ。
アウシュビッツで行われていたセレクションの弊害はこうして現実に起こったのです。
セレクションを避けるために これからの叡智として
すみませんまたびの勝手な持論というかアウシュヴィッツで感じたことを書きます。
セレクションを行わない。こうしたシステムに巻き込まれないために僕たちはどうしたらいいか考えないといけません。
残念ながら自分が植松被告になる可能性はゼロじゃないんです。
もしあなたが仕事だからと言われて酸素吸入の管を外せと言われたら
部下の外国人労働者が脱走しないように監禁しろと言われたら
立ち退きを拒否する住民に対して強制退去を言い渡し、連行していかないといけないとした時に
私達はどうするべきかを考えておかないといけない。
必ずシステムから除外され邪魔者となった者に対してシステムは排除しないといけないという宿命を持つ。
その時排除、駆除を実行するのは政治家でもない、経営者でもない、上司でもない、
僕たちなんです。
セレクションを防ぐために出来る事 ①当事者意識を持つ
①当事者意識を持つということ
ナチスドイツの事例で考えるとわかりやすい彼らはドイツ人とユダヤ人をまずセレクションしました。
ここがポイントです。
僕ではない誰かのことだから関係ないと考えない事です。
つまり沖縄の事、福島の事、パレスチナの事、ロヒンギャの事、難民の事を他人事だと思わないという姿勢が大切です。
だって関係ないじゃんと、もっと違う楽しいこと考えて笑って生きていたいよ!そう思うかもしれません。
でもよくよく考えると何一つ自分に関係がないことなど実はないのです。
柏の市議会議員でラッパーのDELIさんが福島の事、放射能の事についていっていた事が忘れられない。
「無関心でいることができたとしても、無関係じゃいられないんだよ」
実際にそうですよね。放射能は広くアメリカまで及び、それは福島に限らずチェルノブイリの時にも日本にも影響が及んだ。関係しているのです。
沖縄の基地問題。無関心で無関係を決め込んでいたらいつの間にか東京上空をオスプレイが飛んでいた。
沖縄だろうが東京だろうが米軍が事故を起こしても日本の警察はタッチ出来無いのです。沖縄で起こることは東京でも起こりうるのです。
パレスチナの事。全く遠くの話のようですが関係があります。
日本の防衛省はイスラエルと無人偵察機の共同研究にお金を出しています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20160702-00059530/
僕たちの年金積立金で兵器を作る会社ので株を買っています。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2074151.html
これだって昔からそうだったわけではありません。5年で起こった事です。イスラエルがパレスチナ人に対して攻撃したりする費用の一部を日本が担っているのです。
世界を旅行すると至るところに日本のお金で建てた橋があります。本来の日本の貢献はこういう投資だったはずなのに。
ロヒンギャ問題もしかり、日本政府はロヒンギャを弾圧する今のミャンマー政権に多額の投資をしています。麻生太郎は日本ミャンマー協会の会長です。中曽根もいます。ヒキますよこのメンツ。
http://japanmyanmar.or.jp/yakuin.html
勝俣宣夫(丸紅)という人もいますが
この人東電の会長の勝俣恒久の兄弟なんですね。なにこの血縁同盟。どこが民主主義やねん。
先日移民法が中身不明のまま成立しました。これからミャンマーの人も沢山来日すると思います。
どんなときも、人権侵害が起きた時に僕たちは自分たちに関係のあることだとして抗議しないといけないのです。
② 有害であるからとして権力が誰かを排除しようとした時に反対をする
権力がその力を行使するときに何を必要とするか?
それは錦の御旗です。
昔から戦さをするには大義名分っていうのが必要なんです。ブッシュが仕掛けたイラク戦争の錦の御旗は「大量破壊兵器がある」でした。結果大量破壊兵器はないのにイラクは大量の爆弾を落とされてサダム・フセインは殺されたのです。
そもそも危険があるからとして相手を攻撃し排除もしくは抹殺したとしても問題は残り続けるのです。
そのために対話や交渉などのスキルを期待して僕たちは政治家に高いサラリーを払っているのです。
力を行使する前に話し合いで解決して欲しいのです。
権力が力を行使しようとしているときに僕たちは一体何が問題になっていて、話し合いは十分になされているかをチェックしないといけないのです。
残念ながらマスコミはほぼ壊滅的ですね。だからこそ能動的に情報を取りに行かないといけない時代です。
③ 人を劣っているとして見下さない
どんな人でも人として尊重されなければいけないし、尊重しないといけない。
人に優劣はなく、誰しもが尊重されることは現代の基本です。
この優劣関係が支配関係へと発展し最後には上から下への暴力やハラスメントにつながるのは実生活でも経験済みでしょう。
学校、職場、家庭どこにでもその危険性はあります。
そんな時は声をあげましょう。
無理な時はそこから意地でも離れる。
逃げることです。
周りに何を言われたっていい。
アウシュビッツいるのと同じ境遇である深刻さで必死な気持ちで逃げるのです。
一度支配の場所から離れると拍子抜けします。
どうして今までこんなに上司や先輩若しくは親を恐れていたのだろうか?と。
つまり支配されることによる不安というのは実は、テリトリーを離れるだけでだいぶ解消されるのです。
解決しようと思うより先に、離れる方が無難です。
支配にはそもそも根拠なんてないんです。
一番求められるのは自由であること
頭ではわかっていても、仕事でやらなくてはいけないとなった時に断れるか?
これは日本人の永遠の課題であると思います。
断ったら逆らったら、失職や村八分に合うかもしれない。
そんなときにやはり失職しても結構村八分結構、移住したって構わないと言えることが大切なのだと思う。
つまり他者に依存しないといけない生活からいかに少しずつでも脱却することが必要なのだと思う。
旅をしていて気づくのはいかに出来る事を増やしていくかが本当に大切だと感じます。
礼儀気遣い人間関係とかはその後に必要となるものです。
まさかこんな流れになるとは自分でも予想がつきませんでした。
まだまだ何一つまとまっていません。
でも最後にこの問いについて答えさせてください。
どうしてユダヤ人はアウシュヴィッツで悲劇を経験したのに、今パレスチナに対して悲劇を加害する側に立っているのか?という問い
そうなんだよね。
アウシュヴィッツで思い切り世界に悲劇をアピールしているのに現在進行形でパレスチナ人を殺したり土地や家を奪っている。
これはどう考えればいいのだろうか?
その答えは村上春樹さんのイスラエルの演説にあるように思う。
村上春樹のイスラエル文学賞でのスピーチ
またびでは二度目の引用です。
とにかく本質をついています。
高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ
そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。
何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。…中略
このように考えてみませんか。私たちは皆それぞれ、多かれ少なかれ、一つの卵であると。皆、薄くてもろい殻に覆われた、たった一つのかけがえのない魂(たましい)である、と。これは私にとっての“本当のこと”であり、皆さんにとっての“本当のこと”でもあります
そして私たちは、程度の多少はあるにせよ、皆高くて硬い壁に直面しているのです。この壁には名前があります。
それは“システム”というのです…中略
私たちは皆、国家や民族や宗教を越えた、独立した人間という存在なのです。私たちは、“システム”と呼ばれる、高くて硬い壁に直面している壊れやすい卵です。
誰がどう見ても、私たちが勝てる希望はありません。壁はあまりに高く、あまりに強く、そしてあまりにも冷たい。
しかし、もし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、それは皆が(自分も他人もが)持つ魂が、かけがえのない、とり替えることができないものであると信じ、そしてその魂を一つにあわせたときの暖かさによってもたらされるものであると信じています。
アウシュヴィッツにおいて卵は迫害されたユダヤ人。
壁はナチス
パレスチナ問題においては卵はパレスチナ人。
壁はイスラエル政府
この認識にたてば立ち位置は誤りません。
でもどうしておなじユダヤ人がという問題は残ります。
こう考えてみませんか?
アウシュヴィッツでホロコーストを起こしたのはナチスドイツというシステム。
そして今パレスチナ問題を引き起こしているのはイスラエル政府というシステム。
ナチス=ドイツ人
イスラエル政府=ユダヤ人
と考えないと言うことです。
これは日本にも当てはまります。
日本帝国=日本人と考えない。
戦争を引き起こし、多数の死者を出したのは日本帝国というシステムだと考える。
これはセレクション選別ではないかと反論されるかのしれない。
同じ日本人なのに分けているじゃないか?と
でも現在において戦争に直接関わりを持ち意見を言える年齢であった人がどれだけいるのだろうか。もう90過ぎになっているはずです。同じ日本人かもしれませんが申し訳ないですが父親の過ちを子供が同様に感じる必要はないのです。
これはセレクションではなく、責任の所在の明確化と言ったほうがいいかもしれません。
父の犯罪で息子が収監されることはないのです。
ただ卵の立場にたったとして、戦後の賠償や慰安婦問題、最近では徴用工の保障それは父を継いだものとしてやっていかないといけないことだと思います。
賠償するからと言って息子の非を咎めている訳ではない。
韓国も中国も今そういう認識が多いように思います。
人の良心の問題として補償をし、そして寄り添っていかないといけないのです。
業といった言葉に近いようにも思います。
終わりに
すごい中年をこじらせてしまいました。飲み会でやったらヒカれるレベルですね。
でもアウシュヴィッツとパレスチナを旅して感じたことをどうしても形にしておきたかったのです。
自分でもこんな流れになるとは思いませんでした。
本当はヒトラーもいいところがあった論的なものは許せないと書く予定だったのですが、こうなりました。
これで良かったと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
今はエジプトのカイロに向かう汽車の中です。
席が近くの韓国人夫婦にイスラエルの小銭をあげたら手作りのキンパをもらいました。
オモニ, おふくろの味です。
たった1つの料理でこんなに幸せになれるのですね。
ホームメイドのキンパはエジプトの列車の中で一瞬我が家を作り出してくれました。チョンマルカムサハムニダ!
でもちょっと家に帰りたくなりました。