またび

ウクライナ・キエフにてチェルノブイリ博物館 2万4千年後に故郷へ帰れることの虚しさ 福島を憂う


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ドープリィ・デーニー(ウクライナの言葉でこんにちわ)

またびのまさるです。


順番的には、まだまだジョージアとかのまとめを書かないといけないのですが、今日行ったチェルノブイリ博物館で感じたことを多分、今日書き記した方が鮮度というか、感じたそのままが伝わるのかなという希望も持って今日書きます。

ちなみにウクライナの首都キエフは、ものすごくコストパフォーマンスがいい都市です。ヨーロッパ並みのクオリティーにジョージア、アルメニア並みの物価。

とにかくご飯が本当に美味しい、種類も多いです。あと、コーヒーとかラテとか100円前後で飲めますし、お店も多い。美人が多いだけでなく、それに比例してイケメンも多い。

ただ、僕も来て初めて知ったのですが、ウクライナの歴史は相当大変。

スターリンのソ連に支配された後に、ナチスに支配されるという。しかも1932年〜33年にかけて「ホロドモール」という20世紀の大虐殺の一つが起きた場所でもあります。まだまだ不勉強で詳しくはわかりませんが、とにかく多くの悲劇が起きた場所なのです。

そんなウクライナで原発事故も起きている。

福島第一原発の観光地化計画の噂もありますが、まずはチェルノブイリ博物館ではどのようなものかを僕が見てきただけですが、お伝えします。

今、キエフにいてこれから見に行きますという人は読まないで、そのまま自分が感じた方がいいと思います。キエフには行けないけれど、どうなっているのか興味がある人は読んでほしい。

キエフ市内にあるチェルノブイリ博物館 外にいきなり装甲車があるからそこにまず驚く
隣が警察署みたいなので、そこの車両からもしれませんが、いきなりこんなのが瀟洒な街並みの中で現れるので、まずビビります。
この装甲車の奥が入り口です。
入場料は10UAH カメラ50UAH 音声ガイド50UAH 計110UAHです。音声ガイドのデポジットで 100UAH預けます。
入り口に入ってすぐに、受付があり、展示までの階段がもう一つの表現になっています。
左が下から見た図。
鯉のぼりが見えますね。もちろん同じく原発事故を被った日本から贈られたものだそうです。
並んでいるプレートに書かれているのは、チェルノブイリ原発の半径30km以内にあった街の名前だそうです。事故以降、立入禁止区域に指定された街です。階段には枯れた林檎の木が書かれています。
多くの実りがあった豊かな大地が枯れてしまったという表現を踏みしめて展示場へ上がります。
2Fの展示場 展示の仕方がもう割と前衛的というか尖っていて僕はとても印象的でした
僕は写真代の50UAH(約2ドル)を払ったので、堂々と写真を撮ります。写真は撮った方がいいと思います。この博物館の展示はただのケースに入った貴重品ではなく、展示自体が一つの作品になっているので、写真で切り取る魅了が多々あります。
時計は1時23分を指しています。
1986年4月26日の深夜1時23分に爆発しました。作業員の防護服や写真が飾られています。
こんなアヴァンギャルドな展示でのっけから驚きます。
音声ガイドを書かれた番号を押すと流れます。
イヤホンがなく、直接耳に押し当てて聞きます。
なのでお客さんがみんな電話を片手に展示を見ている様子、それ自体もなんかアヴァンギャルドです。

リクヴィダートル 原発事故作業員たちの記録

壁面には証明写真のようなものが沢山飾られています。
その中に、放射能のマークが記された写真があります。それは事故作業の結果、放射能の影響で亡くなった人たちです。
事故対応に当たった作業員たちは「リクヴィダートル」と呼ばれています。
音声ガイドによると、リクヴィダートルの45%が死亡して、50%に身体障害が出たようです。
チェルノブイリで爆発が起きた後、高温度の黒鉛が飛び散り、それによる火災が発生した。
屋根に落ちた高濃度の放射性物質をシャベルですくって除去する作業員。
鉛のスーツを着ていますが、機敏性や作業効率を考えて若者がその役割を担ったようです。
左の図は旗印は200、星印は1000という数値が書かれています。その物質をシャベルで除去していた訳です。もちろん作業時間や防御服などの考慮はありました。

空からの対応 ヘリコプターで5000tの土砂を投下(自由の女神22体分)

当時、原発事故対応にはソビエト政府から軍、消防総動員で対応に当たりました。
原子炉には5000tもの核反応抑制用のホウ素や砂などをヘリコプターで投下しました。
空からだけでなく、地下からも事故対応に当たりました。

地下からの対応 炭鉱労働者の奮闘

事故から2〜3週間後、炭鉱労働者が集められ、原子炉の地下にトンネルを掘ります。基礎の下にコンクリートを流し込みその中に冷却用配管を設置する工事をします。核燃料が地下水に接触し、ドニエプル川や黒海を汚染させないためにです。工事は1ヶ月弱で完了した。

住民の避難

原発に近い原発労働者の町・プリピチャの住人は事故の2日後になってようやく避難を言い渡されます。しかもそれは、「三日間だけのもの」「荷物は最小限、1時間でまとめる」「ペットの同行不可」というものでした。避難の際、記録映像として流れていたフィルムには、白い点滅が何箇所も見られました。それは放射能によるフィルムの感光であるそうです。しかし

その三日が永遠となって今も続いています。

白い点滅が永遠の別れの予兆であるかのように。
プルトニウムの半減期は24000年と言われています。西暦26000年にようやくチェルノブイリ周辺でプルトニウムが半減するのです。それを永遠と呼ばずして、有限とは言えません。
また事故当時、放射能対策としての「レンガなどの建物の中で待機」「できるだけ外で活動しない」「牛乳や青物の摂取は避ける」などの対策はすぐには知らされなかったと言います。

事故の責任を当時の当直の職員個人のせいにする。実際は設計上の欠陥が理由

原発事故の原因は現在では、原子炉の設計上の問題となっていますが、当時は事故時の職員による人為的ミスが主因であるとされたそうです。
当時のチェルノブイリのエンジニア・アナトリー・ディアトロフ(英語読み)さんは裁判で10年の拘留を言い渡されます。仲間の嘆願などで刑期前に出ることができましたが、彼はその後著書を書き、事故が人為的なミスが主因ではないことを示しています。彼はその後急性被曝症によって亡くなっています。その彼の刑務所で使っていたスプーンが展示されていました。
当日の夜勤勤務の12名のうち、8名が急性被曝症で亡くなっています。
逃げてもおかしくない状況で事故対応に苦慮した彼らを一概に人為的ミスとして責めたソビエト政府。これは忘れてはいけない事実です。

「大きな物語を成立させるためには、必ず小さな物語を犠牲にする」

そもそも、チェルノブイリ原発は黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉という形式で設計者は

「モスクワの赤の広場に建てても安全」

と吹聴していたそうです。
やはり、安全、安全、絶対安全と諭している人は信頼ならないですね。これも絶対安全という大きな物語のために、不都合や、不具合など小さな物語が犠牲になり、結果大きな物語自らが瓦解するのです。この設計者こそ罪が重いですね。

豚の赤ちゃんの奇形

頭が不完全に分離した一卵性双生の子豚です。

他植物の異常、人間もチェルノブイリ事故以降に生まれた子供は、事故以前に生まれた子供の7倍確率で染色体に異常が出るようです。

そしてチェルノブイリ周辺に生えていた松の木は、歯が全てオレンジ色に変色し、それらは皆伐採され、地中に埋められたそうです。燃やしたら煙によって放射能が再び広がる。この松の木を始め、樹木が放射能拡散を減らす要因にもなったと言われています。

50の特許と220の論文

音声ガイドによるとこの事故後の放射能の影響を調べて、レオニード・キンゼレスキー博士は、50の特許と220の論文を出したそうです。この事故を人類の今後のために活かす研究はとても大切だと感じます。そしてこれまでに国際協力などで様々な援助や協力がチェルノブイリにあったそうです。日本からもありました。

禎子さんがおった折り鶴と湯川れい子さんの折り鶴もありました。

最上階の展示 天と地を分けるエコナスタス

展示を見終え、もう一段上がると、最上階の展示がある。

それは展示というよりは、人類に対する啓示に近い。

ロシア正教では天と地を分ける境とされている「エコナスタス」

その入り口は原発の印で入れないようになっています。

実際にチェルノブイリ周辺にあった教会から運ばれてきたそうです。天の中に足を踏み入れると

そこは四号機原子炉の屋根と同じ面積床面の上に、一艘の船が浮いている。「ノアの箱舟」をイメージしている。僕が前回行った、アルメニアのアララトにたどり着いたはずであるノアの箱舟は、現代においてはここチェルノブイリに辿り着いた。

そしてその奥には8角形に縁取られた子供達の写真が並んでいる。8角形は原子炉の形を表している。子供は皆原発事故後に生まれてきた子供達の写真だ。周辺の村の子供たち、そして原発作業員「リクヴィダートル」の子供たちだ。

彼らはこれから人類の未来にとって「希望」であらないといけない。

石棺のようにその未来をその存在を固く閉ざしていけない。

僕はここに4時間近く滞在した。とても考えることが多かった。

最後にそれを述べたいと思う。

僕は専門家でもないし、研究者でもない。

ただチェルノブイリ博物館に行っただけのヤポーニャである。

だけの者も、伝えたい何かがこの博物館にあったのだ。

だから最後、書かせてください。

最後に 僕が感じたこと ここは飛ばしてもらってもいい。

僕が感じたチェルノブイリ博物館での感想は

事故対応をすごい規模でやっているな

単純にこれだけなのですが、何を言わんとしているかというと

福島でもこんなにすごい規模で対応していたっけ?

ということ。

震災後2年後の2013年僕が自転車で福島を旅行した時に見えた景色は

芝生の上に鉄板が敷かれ、事故対応の拠点となったJビレッジ。

警備員による国道の入場規制。

花見客のいない夜ノ森のさくら

そして積まれた汚染土の袋。

そこにはヘリコプターによる5000tの土砂投下。

炭鉱作業員により1ヶ月での原子炉下にトンネルを掘る工事もない。

そして奇形など生物への影響に対する報告、研究もあまり聞かない。

僕たちが聞かされている事実は

福島は安全だ

Jヴィレッジは再開だ

多くの地域で避難指示が解除された

食べて応援

チェルノブイリ博物館とのめまいがするほどの対比。

一方では事故の被害、影響の大きさに触れ、

もう一方では事故からの復興をことさら強調する。

福島の何がいけなかったのか、何が問題だったのか、そして今何をしなくてはいけないのか、今後どんな危険が予測されうるのか?

僕たちはあまりにも

知らなさすぎる

チェルノブイリでは政府が軍を動員し、大規模な対策をした。

もちろん事故の規模は違うかもしれないけれど

日本は、福島は、一体自衛隊がどれほど出動したのか?

上空から放水したことは知っている。

地下はどうだ。

福島で溶けた核燃料は今どこにある?

誰も知らない

少なくとも圧力容器を突き破っていることは確かだ。

そこからさらに格納容器を突き破っているのか、さらには地下水に触れているのか、どうなのか

誰も知らない

地下水に触れまいとする対策もそれが凍土遮水壁なのかもしれないけれど完成したとされているのがつい最近の2018年で効果も定かではない。5年の間、デブリはどこまで溶け落ちるのだろうか?

今原発事故の対応をしているのは誰だ。

東京電力だ。

なんと心細い。一民間企業が未曾有の原発事故の対応を今なおしている。

そして彼らが今何が問題で何を課題として、何に苦慮しているのか

知らない

知らない私たちがいけないのか?

知らそうとしない為政者がいけないのか?

善悪の判断は歴史に委ねよう。

しかし、その歴史が明らかにしていることが一つある。

為政者は「不都合な事実」を隠す

チェルノブイリでも然り、最初のウクライナでの新聞の事故の扱いはピンク色の部分だけだ。しかも事故を過小評価していた。

隠すことがけしからん、罪だと断罪するのもいい。だけどもうこれは歴史的必然として、彼らは「隠す」性分であるとして、私たちがその「隠された」部分を追及していかないといけないのではないか。その緊張関係が、政治と市民の間に必要な健全さなのかもしれない。

おしどりマコリーヌさんという芸人の方が現在も東京電力の事故対応について調査している

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おしどりマコ・ケンの情報発信サイト/OSHIDORI Portal        

僕たちはもっと知ろうとしなくてはいけない。

それは誰かを貶めたり、断罪したりするものではなく、放射能事故から如何に解決していくのかということももっと議論していかないといけないのではないか?

必要なのは、風評被害だと言って騒ぎ立てることでも、東電なんか潰れてしまえと罵ることでもない。やらないと知らないと僕たちの生存は限りなく脅かされていることに気づかないと。

原子力は小さな太陽だと言われた。

その小さな太陽は、爆発し、拡散し、今どこにあるかもわからない。

人間を守る大気圏ははるか上空。

地上に太陽のかけらがある限り、僕らは太陽の影響から逃れられない。

人間が科学を信奉し、造り出した太陽も、もう一度葬り去る必要がある。日本だけの問題ではなくこれは世界の問題である。

絶対安全と言われた原子力はもう2度も過大な事故を引き起こした。

だから安全じゃないものとして、僕らはもう一度、太陽に畏敬の念を覚え、それを小さき太陽を葬りさらなければいけない。

僕らは知るということで、放射能を守る「大気圏」の役割を担い、そして私たちで「大気圏」を考え出さないといけない。

忘却は何の解決にもならない。

今の政府の姿勢は常に国民の忘却を待っている。

劇薬も麻薬も時間が経てば国民は忘れると思っている。

国民は忘れるかもしれない。

でもね。

小さな太陽、放射能は忘れないというかなくならないんだよ。

プルトニウム239の半減期は24000年。

僕らの人生の240倍の長さ、プルトニウムに晒される。

だから、どうしたらいいかをもっと議論した方がいいと思う。

ここは止めておこうというゾーニングをしないといけない。

さらには、国民のパスポート所持率ももっと上げておかないと、事故が起きた時に日本人の7割はパスポート不所持で難民となる。もうね焦りしか感じないよ。

不都合な真実というものは必ず時間とともに現れる。

これも歴史の真実だと思う。

なんかよくわからなくなりましたが、今日はベラルーシビザが取れずに、少し心がトゲトゲしています。多分僕が伝えたいことの半分も書ききれていないと思います。

でもこれが現時点での僕の想いです。

またび

写真も多くまとまっているブログはこちら
http://kagshun.com/archives/5666
チェルノブイリツアーに参加したブログはこちら、他キエフの見所も入っててんこ盛りです。
http://maedak.jp/blog-entry-124.html


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