オラ!(スペイン語でこんにちわ)
またびのまさるです。
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半年経ってようやく、嬉しいです!
引き続き頑張ります。
今回はアフリカから南米のフライトについて書きます。
思ったよりも快適だったので書きます!
僕は出発の5日前に取りました。
やはり南下していて、日程が定まらなかったので、割と直前になりました。
値段は600ドル。
アフリカを離れるにあたって個人的に好きなエチオピアにもう一度寄れるというのが最初魅かれた点です。
出発が 2/8の14:45。到着が2/9の20:20。
約30時間の長旅です。他もほぼ安いチケットはこの位かかるようです。
寝れない、シャワーが入れない、シートが狭いの三重苦を当初は想像していました。
しかしエチオピア航空は僕の想像を上回ってくれました。
①無料ホテルに食事送迎付き
②靴下と歯ブラシの配布がある!
③最初から最後まで同じエチオピア航空
これすごくないですか?
乗り継ぎで8時間以上の際は、宿泊場所を手配する航空会社のサービスがあるそうですが、エチオピア航空はやってくれます。
ケープタウンでのチェックインの時に、バウチャーというA4の紙を貰えます。
これが無料宿泊券になります。
お願いもしていないのに、しっかりワシントンホテルに宿泊予定と書いてあります。
ケープタウンから8時間後に、エチオピアのアジスアベバに到着します。
そこで一度イミグレに行きます。
バウチャーを見せて「トランジット」だと言うと
スタンプを押されずに入国できます。
もちろんビザもいりません!
空港を出て、人に「ワシントンホテル?」と聞くと空港を出たところに送迎車がいると言われます。
送迎車に着くと、係りの人がバウチャーを回収して、ホテル名を書き換えています。
どうやらワシントンホテルは満員になったため、違う
「アララト・ホテル」に変えるといいます。
まあこれがエチオピアらしい所ですね。
僕の後の人はアララトホテルもいっぱいだからと違うホテルになっていました。
つまりどこに泊まるかはわからないと思っていた方がいいです。
でもこのホテル。
僕が1か月エチオピアで泊まったどのホテルよりも良かった。
お湯は熱々。
Wi-Fiは部屋で使える。
朝食も夕食をついている。
夕食も朝食もビュッフェでした。
でもなぜかあのあの
インジェラはありませんでした。
残念
朝食は朝の5時から準備してくれました。
7時30分に送迎車に乗って空港に向かいました。
ベッドで寝れて、シャワーを浴びられるのはありがたい。
部屋に着いた時、ドアをノックされたので、開けると違うお客が
「俺の部屋にベッドがないんだ?君の部屋にはあるか?」
と聞いてきたので、彼の部屋を確認すると
本当にベッドがなかった。
部屋を変えてもらっていたけれど、これもエチピアンクオリティー。
必ず一筋縄ではいかないからな。
靴下は黄色いエチオピアンカラー。
歯ブラシも嬉しいですね。
他機内食も、エチオピアのハベシャ(Habesha)ビールもワインもあります
シートも申し分ないですね。
長時間移動ではデルタとかキツキツで最悪だった記憶しかないので、エチオピア航空は良いです。
映画も見放題。
全て同じ航空会社だと荷物なども安心ですよね。
またブラジルを経由するので、トランジットでビザが必要になるか不安でしたが
ブラジルビザは不要です。
ブラジルでは飛行機に乗ったままで、他の乗客が乗ってくる形式です。
ブラジルアルゼンチン間で違う航空会社に乗る場合だとビザが必要になるようです。
エチオピアのアジスアベバはこれからアフリカのハブ空港として多分メジャーというか大きくなっていくように思います。
さらにサービスもいいのでオススメですね。
まさかの南米に行くのにアメリカ経由じゃなくてアフリカ経由という未来があるかもしれないですね。
エチオピア航空は日本にも飛んでいます。
アメリカはESTAがあって、お金取られますし、サービスも態度も悪いですから。
すごいですね。日本とタンザニア往復で6.6万円のチケットで行った人もいます。
アフリカがぐっと近くなりましたね。
こんなのエチオピアの感じがしないですしね。
でも花の下の台が
なぜかパスタというのが
僕はエチオピアらしくて好きですが。
30時間は暇なので、映画を見まくりました。
もちろん日本語字幕はないし、英語は聞き取りが難しいのですが、まあまあ楽しみました。
僕が観た映画
・「Shape Of Water」(アメリカ)
・「Kychh Bheege Alfaaz」(インド)
・「Bhavesh Joshi Superhero」(インド)
・「Carib Quarib Single」(インド)
・「恋は雨上がりのように」(日本)
・「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」(日本)
の6作品です。
もちろん作品ごとに面白さは違うのですが、
なんか作られている映画というのは意外とその国の時代の雰囲気を捉えていることがあるように思います。
そこでまたびが勝手に感じた印象を最後に書かせてください。
予告編はこちら
すみません。
セリフもほとんど聞き取れていないです。
全く理解できていないと思ってもらっても結構です。
半魚人と妙齢の話せない女性との想いを交わし合う恋の物語です。
冒頭の水のシーンが綺麗です。
思わず水に潜っていられる時間をカウントして、これ水の中じゃできないよなと考えていました。
多分この映画自体はとても示唆に富んでいて、色々解説しがいがあるのでしょうが、僕は最後まで観て、感心はしましたが、心が動かなかったです。
セットも衣装も小道具もとても凝っている。
撮影技術もすごい。
でも心が動かない。
そもそもその女性が半魚人に心を動かされるということがプロットになっていて、その動いた瞬間や動いた理由を本当に捉えていたのだろうか?
やりたいことや示唆が先行し、僕にとっては共感がおざなりにされているように感じた。
でももうハリウッドでボーイミーツガールをストレートに描くということ自体が成立していないのかもしれない。
観たこともない世界、設定、撮影技術が優先され、また過去の作品へのオマージュや時代設定や小物、衣装の統一感など情報量や仕事量が評価される。
ヒーローも同じく、そこまで映画は現実から乖離し、クリエイターはクリエイターの中で完結しているようにすら思った。
これに対してインド映画は違った。
インド映画は急にみんなで踊り出し、歌い出すのが定番。見ている観客も手拍子したり足を踏み鳴らしたりする。
それがインド映画の醍醐味だ。
でも僕が観た3作品はどれを取ってもそんなシーンはなかった。
あれ?
インド映画変わった?
でもなんで3本も見たの?
インド映画はなんか最後まで観れるのです。
その理由を僕なりに書きます。
一本目「Kychh Bheege Alfaaz」
これは名作。
タイトルの読み方すらわからないけれど。
もうね、なんかグイネス・パルトロウとか出てたニューヨークの小洒落たラブストーリーに、キアロスタミとかイラン映画にある詩情が加わっている。
ラジオで詩を朗読するニッチなDJと彼の番組を楽しみにしている女性が、一本の間違い電話で繋がる。
でも互いに誰かは分からないまま、電話やメッセージ、つまり詩のやりとりで関係を深めていく。
出会ってはいないけれど、もう言葉の中で出会っていたみたいな感じかな。
だいぶざっくりした理解だけれど
ストーリーは単純で、やはりボーイミーツガール。
さっさと気づきなよ、会えばいいのにっていうところをこちょこちょしながら、ストーリーに入っていく。
そして主人公が心を動かした時に、観客もそれを追体験する。
そうだよな。
これが映画なんだよなってすごく思い直しました。
この映画の根っこにはやっぱり、現代というか人生の孤独っていうことが根底にあって、そこをちゃんと描いているから、とても共感がしやすい。
そして言葉に代表されるように、
「美しさ」を持っている。
二本目は
「Bhavesh Joshi Superhero」
これはある意味、ヒーロー物。
スパイダーマンに憧れた主人公が、正義を貫くべく作り出したヒーローJoshiをめぐる物語。
交通違反、泥棒、ゴミ捨て、社会の不正義に対して、ヒーローJoshiは現れる。
そして
「正義」
と叫び。悪を糾す。
それをネットで投稿して、社会現象を起こそうとしている若者たちの話。
一見主人公だと思っていた人物が、死ぬんだよね。
これは結構インド映画のすごい所で。
違う映画で開始5分で主人公が死んで、蝿に輪廻転生して、ハエとして最後まで出演するというスゴ技映画もあった。
これ多分、主役のスケージュールが取れないから、殺して蝿にしちゃって、アフレコで済ますってパターンなんじゃないかと僕個人的に思っているが。
親友の意思を受け継ぎ、友人が正義のヒーローとなって巨悪に立ち向かうというストーリーだけど。
やっぱり描いているんだよね。
不正義が正義として喧伝されている社会
心ざしを貫きたいけれど理想だけでは生きられない現実
しっかり社会に対しての批判がある。
最初は紙袋を被ったコミカルでチープなヒーローが
最後には格好良く見える
そしてやっぱり正義を諦めずに貫いていくというメッセージにもなる。
ありきたりかもしれないけれど
こういう映画もいい。
三本目は普通といえば普通。
「Carib Quarib Single」
結婚適齢期を過ぎたキャリアウーマンが、恋人がいない生活を変えたくて出会い系に挑戦する。
そこで出会った男と10日のリシュケシュへの旅に出るラブコメディー。
インドといえばお見合いが多く、若くして結婚していくイメージが多かったけれど、もう今のインドでは、日本や他の国と同じく自分の生き方を追求していく中で出会いに恵まれない女性が生まれてきている。
インドもここまで来たんだなと
そして
この変わり身の速さの中でも決して、ヒューマニズムや美しさというものを失わない姿勢にとても感心しました。
これからのインド映画は多分もっともっといろんなジャンルや作品が生まれる。
しっかり、心を動かしてくれる。
僕はこのインド映画の変化を見て、インドという国の未来が意外とアメリカや中国とは違う、ヒューマニズムを持った成長というものを生み出すんじゃないかと勝手に感じました。
6年前にインドに旅行した時は、その混沌と気候の激しさから、生きるので精一杯で、やはりインドは投資しても一筋縄ではいかないと感じていました。
でも今、インドを見てどうでしょう?
確かにレイプなどのニュースをよく見ます。
でも彼らは法で厳しく裁きますし、変化している。
それが政府主導というよりは、下からの突き上げを持って動いているように感じる。
ジョージアで会ったインド人の経営者は、旅行会社をジョージアとドイツに二つ持っていた。彼の夢を聞くと、会社を拡大することでも、金持ちになることでもなく
「いい人間になりたい」
と言った。
僕はこれにとても驚いた。
シンプルで真理をつく言葉。
良きとか美しさという当たり前の、そして素朴な目標をいつから僕らは失ったのだろう。
そして欲望ばかりが溢れている。
多分、インドにはこうした価値観の決定的な変換の鍵を握ってくれる存在になるように思う。
という勝手すぎる解釈。
最後に日本映画
・「恋は雨上がりのように」(日本)
大泉洋と小松菜奈が主演です。
ヘコヘコ謝ってばかりの中年店長とそのファミレスでアルバイトをしている女子高校生の話です。
小松菜奈は元陸上部で足の大怪我で陸上を止めた設定です。
そしてなぜか店長のことが好きです。
店長は離婚して今はシングル。
まあこの二人が結局付き合いもせず、好き合いもせず、最後連絡先を交換して終わるのですが、
酷いね。
多分映画で描かないといけないのは、なぜ小松さんが大泉に惹かれたのか、そしてそれに大泉がいつ気づき、どう反応するのか。その反応に対して小松さんはどう感じるのかってところなのですが
ちょっとまずいですね。
どうしてこれを映画にしたかったのか?
ブラック体質を描くわけでも、高校での閉塞感を描くわけでも、現代人のコミュニケーション不在を嘆くわけでも、シングル男性のどうしようもない生態を描く訳でもない。
ただ設定として存在している。
見ている側は一ミリもわからない。
どうして大泉洋が小松さんに好かれるんだと!
どうでしょうの大泉さんならわかる。
でも映画の中で、いちいち間を溜めて、格好つけた表情をした大泉演じる中年は全く魅力がなかった。
そしてもう一本
「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」
まさかのどうでしょう繋がりの安田君とが榮倉奈々が主演です。
監督は李闘士男
メタルの映画を監督して人ですね。
3年で離婚した安田くんが、再婚する。3年目を迎えてこれから結婚を続けようか確認を取ろうとした時に、妻が死んだふりをしだす。
もちろん設定でクスっとするのはいいんです。
ワニの口に頭を突っ込んで死んでいるとか。そういうのが一瞬面白いのかもしれません。
でも妻は常に敬語を使います。
妻は専業主婦です。
死んだふりのコスプレのためにいつもグッズを買い込み、それを捨てます。
こんな人いないよね。
というのがもう最初の。
しかも榮倉奈々は美人で長身で小顔。
何が楽しくてこんなことするんだろう?
そんなことより、絶対おしゃれな服着て、バックを持って、グルテンフリーとか言って、ヨガやって、ハーブに詳しくなると思う。
百歩譲って死んだふりコスプレをする人だとするならば、日常があまりにもつまらなすぎて、ぶっ壊したいとかそういう衝動がないとやはりきついと思う。
二作品とも漫画が原作です。
コミックは非日常でも成立します。
そしてクスッっとさせれば成功です。
でもね映画としてはやはりあまりにも現実の社会から離れすぎていると思う。
と文句を言ってもキリがないので
ただ日本映画の現状として見えてくるのもは
社会について言及するつもりも更々ないし
人間について掘り下げていくつもりも更々ない
映画という仕事
企画を成立させるために
役者を揃えて、お金を集めて、スタッフ揃えて、作品にする。
大損しないようにできればいい訳で、
もうなんか末期的であるように思う。
原作にする漫画が尽きてきたんだろうな。
まだ形になっていないオリジナルの脚本でお金を集めることが日本ではもう難しいのかもしれない。
映画がコンテンツ
そんな虚しさを感じました。
心を動かさずに
お金を動かした
と
まさかの機内で見た映画についてのコメントを長々と書いてしまいました。
失敗。
でもエチオピア航空は
本当にオススメです。
またび